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Kyushu University Campus Magazine_2013.11  5持っていなかったんですよ。卒業したら図書館に通って本を読もう。そうしているうちに何か見えてくるものがあるかもしれないと、漠然と考えていました。当時は、音楽の仕事に就きたいとも思っていませんでしたね。レストランの演奏は、卒業しても続けていましたが、レパートリーが少なかったので、レストランを訪れるさまざまなお客様の雰囲気に合わせて曲を演奏するのが難しくなってきたんです。それで、場の雰囲気に合わせて即興で演奏できればいいんじゃないかと思い、なんとなくピアノを触っていたら、メロディのようなものが生まれてきたんです。それからオリジナル曲をつくるようになりました。それが今の創作活動につながっています。─その時から弾き語りも始められたのですか。深水 いいえ、弾き語りは少し後からです。ピアノソロのライブの他に、九州大学の同級生と2人でライブ活動は始めていましたが、彼女が歌を唄い、私がピアノを弾くというスタイルでした。ゴスペルの経験があったので歌を唄うことには慣れていましたが、座って唄うことに抵抗があったので弾き語りはしていませんでした。しかし、歌を担当していた友人が急遽、出演できなくなって、一人でライブを開かなければならなくなったんです。お客様の中には、歌を聴きたくて来てくれる人もいるかもしれない。そう思った私は慌てて弾き語りの練習を始めました。数日の練習で、なんとかライブは乗り切れましたが、お客様に満足いただけたかどうかはわかりません。─深水さんの歌は、どこか懐かしさを感じます。「コンテンポラリーわらべうた」と評されることもありますが、ご自身の音楽の方向性についてはどのように思われていますか。深水 私が作る歌は、メロディが単純で素朴な歌詞が多いのでわかりやすいんじゃないかと思います。だから聴いた人は、昔どこかで聴いたような気がするのかもしれません。─影響を受けた音楽家はいらっしゃいますか。深水 私の音楽の方向性とは全く違うのですが、学生時代、ジャズピアニストの板橋文夫さんが好きでよくライブに行っていました。人前で演奏するというのはこういうことなんだなと、プロの演奏を意識するようになり、それからいろいろな人の音楽を聴くようになりましたね。─ライブ活動の他にCMソングの制作・演奏もされていますが、何かきっかけがあったのですか。深水 地元、糸島の前原名店街に「栗まんじゅう」という名物のお菓子があるんです。焼いている人たちの応援になればと歌を作らせてもらったのですが、それがCM関係者の方の耳に入り、お仕事のお誘いを受けるようになり懐かしさを感じさせるオリジナル曲が評判に。▲ゴスペルを歌った帰りに 立ち寄ったギャラリーで©photo by SSS深水さんのアーティストとしての活動は幅広く、壁画制作など絵画作品も手がけられています。写真は福岡市内の美容室「SARA Beauty Sight」の天井壁画。

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