生物の適応戦略と進化
理学部生物学科生態科学講座
教 授 矢原 徹一
生物学科には11の研究室(講座)がありますが,その中で生態科学 研究室は多様な野生生物を研究対象にしています。研究テーマのキーワ ードは「適応戦略」と「進化」です。とくに「性」と「繁殖」に関係し た動植物の様々な性質を研究しています。まず,有性生殖(つまり雄・雌由来の遺伝子を組み換える繁殖方法) がなぜ多くの生物に見られるのか,という問題に取り組んでいます。私 たちは有性生殖で子孫を残すため,生物にとって有性生殖は当たり前だ と考えがちです。しかし,フナやヒヨドリバナのように,ほとんど雌だ けで,無性的に繁殖している生物もいます。このような生物は,生物界 全体には少なからずいます。考えてみると,有性生殖をするためには, 一見無駄な雄を作るコストがかかり,また配偶相手を探す手間もかかり ます。
では,なぜ多くの生物は有性生殖をするのでしょうか。一つの可能性 は,子供にバラエティがあれば,病原体の蔓延を防ぐ効果があるという ことです。ヒヨドリバナはこの仮説の検証にもってこいです。ヒヨドリ バナには無性生殖型と有性生殖型があります。無性生殖型はジェミニウ イルスに感染されることが多く,ウイルスに感染されると光合成系が破 壊され,死にやすくなります。しかし有性生殖集団では,ウイルスが侵 入しても,感染がなかなか広がりません。このようなヒヨドリバナとジ ェミニウイルスの相互作用を野外研究と分子生物学的技術を使って調べ ています。感染した葉からPCRという方法でウイルスDNAだけを増やして 調べてみると,ウイルスがヒヨドリバナへの感染力を高めるように進化 をしてきたことが分かりました。ヒヨドリバナにとって,ウイルスはす ばやく進化する天敵なのです。
そう考えると,遺伝的変異に乏しい無性型が高い率で感染されている ことも説明がつきます。現在,ヒヨドリバナの耐病性遺伝子を調べ始め ています。有性型では組み換えによって新しい耐病性遺伝子が進化でき るが,無性型ではそれができないという予測を確かめようとしています。有性生殖の進化に関する上記の説は,実はクジャクの羽根のような, 雄だけに見られる派手な飾りの進化にも関係があります。動物界全体を 見ると,美しいのは雌ではなく雄です。このような雄の派手さは,雌が 選ぶから進化したと考えられています。
ではなぜ雌はより美しい雄を選ぶのでしょうか。「美しいほど病気に かかりにくい」という説があり,その真偽をめぐって論争が続いていま す。免疫系においてはMHCというタンパク質が病原体を認識する役割を 担っています。MHCがヘテロ接合だと,病原体を認識するレパートリー が広がるため,病気にかかりにくいと言われています。とすれば,雌は 自分とは異なるMHCを持つ雄を交尾相手に選んでいるのではないでしょう か。この仮説を,野生化状態のネコ(つまり野良猫)で確かめようとし ています。ネコは個体識別が容易にでき,交尾の観察も確実にできるの で,この研究にはうってつけです。
調査地の相の島では,約160頭のネコに名前をつけ,継続調査をして います。発情期の雌ネコがどの雄ネコを受け入れ,どの雄ネコを拒否し たかを調べて見ると,雌ネコの交尾相手は決してでたらめではなく,雌 は明らかに雄を選んでいました。しかし雄ネコはクジャクの雄のように, 目立った美的性質を持ってはいません。雌ネコの好みは,雄のスタイル ではなく,MHCに関係した匂いではないかという仮説を現在検証しよう としています。この研究は,人間の「好み」や「相性」の進化的背景を 理解することにつながるかもしれません。ネコやヒトのような動物は,動き回って配偶者を見つけますが,植物 ではそうはいきません。そのため,花をつける植物では,多くの場合昆 虫の助けを借りて個体間の交配を実現しています。花と昆虫は,互いに 影響を及ぼしあいながら進化してきました。その共進化のしくみを研究 しています。植物にとっては,花粉は大切な配偶子なので,できるだけ 昆虫による消費を少なくする方が有利です。蜜を分泌するのは,花粉の 消費を少なくするための植物の戦略です。一方,昆虫は少ないコストで, できるだけたくさんの花粉や蜜を集めようとします。そのため,ある株 に訪れた場合,できるだけ多くの花をまわってから次の株に移動する方 が有利です。
しかし,それでは植物にとっては他家受粉がなかなか実現されません。 実際にハナバチの行動を観察してみると,一株にたくさん花が咲いてい ても,一部の花だけをまわって他の株に移動することがわかりました。 ハナバチにとっては一見無駄をしているように見えます。
しかし,よく調べてみると,同じ株の中の移動を繰り返すうちに,一 度訪問した花に誤って再訪問してしまうことがわかりました。ハチは花 を正確に区別してはいなかったのです。同じ花に何度も訪問するリスク を避けるには,少数の花をまわっただけで他の株に移る方が良いという わけです。ハチの記憶容量の上限を組み入れた最適化モデルでハナバチ の行動を予測すると,観察されたパターンは予測にとてもよくあてはま りました。一方,植物の側では,花の位置関係を分かりにくくするなど, さまざまな方法でハチの株間の移動を促進しているようです。このほかにも,有性生殖をするのに父方の遺伝子が子供に伝わらない カイガラムシ,雄よりも雌をたくさん産み,出生性比を状況に応じて調 節するイチジクコバチ,ミトコンドリアDNAの変異遺伝子が雄しべをこわ して個体を雌に変えてしまうハマダイコン,自家受粉専用の閉じた花を つけるキッコウハグマなど,動植物を通じた繁殖のおどろくべき多様性 を研究対象にして,その謎を解くべく日夜智恵を絞っています。一方で, イリオモテヤマネコや絶滅危惧植物などについての保全生物学的研究にも 取り組み,社会的要請に応えています。
写真説明:米国植物学会誌1998年2月号(American Journal of Botany)の
表紙となったフジアザミを訪問するトラマルハナバチ