ケンブリッジ大学(イギリス)


ケンブリッジの光景

文学部助教授 納富 信留

 目をつぶってケンブリッジで過ごした5年間を想うと、とりたてて重要でない日常の光景が鮮明に浮かびあがる。霜がおり緑に光る芝生の間を自転車で駆け抜ける、肌を刺す朝の大気。セミナーがはねて満天の星の下を家路につく、心地よい疲れと興奮。晴れた日曜、水仙のまぶしさに思わず目を伏せるケムの川べり。
 学生として異郷の知的共同体にわけ入り、ギリシア哲学という“古典”と格闘し、Ph.D.論文を仕上げて帰国するまでに、数知れない出会いや出来事があった。書物でのみ名をしる尊敬する先達、世界から集う研究者たちと、プラトンやアリストテレスを語り合った。カレッジのディナーで数学者、生化学者、宗教学者や人類学者と席を並べ、一夜の議論に花を咲かせるといったこともしばしばであった。百年も千年も変わらずそのままであるようにゆったりと時を刻むこの町で、私を前へ前へと押しやっていたその緊張を思い出す。
 指導教官マイルズ・バーニェット教授との定期的なスーパーヴィジョン。彼の部屋のソファーに一人腰をおろし、いれたてのコーヒーに口をつけたところで、私たちの戦いが始まる。数週間をつぎ込んだエセーへの鋭く呵責ない吟味と批判。澄みきった敗北のなかで虚脱につつまれ、自分はなぜここにいるのだろうと思うことも一度ではなかった。逆に、彼の言葉があらゆる労苦を吹き飛ばし、ノックした時より幾層倍も勇気をもってドアを後にすることもあった。一人の人間を説得することの難しさ、大切さ、そして成功したときに私が立っている堅い大地の感触を忘れない。
 学問が人と人との間でなされること、万古不易の鋼のような硬質さ、そして何より、心をつき動かし心からの悦びを与えてくれること、それを私はケンブリッジで学んだ。一つ一つの人生をモザイクのようにして、学問という一つの巨大な絵が浮かびあがる姿を、私は目のあたりにした。

(略歴)
 納富助教授は,ギリシア哲学が専門。1991年から1996年9月までケンブリッジ大学古典学部に留学。所属はロビンソンカレッジ。1995年10月にPh.D.取得。東洋学部でも学生の指導にあたる。


文学部がケンブリッジ大学東洋学部と学部間協定締結

文学部教授 稲田 俊明

 文学部は、ケンブリッジ大学東洋学部と学部間学術交流協定を締結することになった。ケンブリッジ大学の創設は13世紀に遡り。ヨーロッパにおいても古い伝統を誇る大学の一つである。改めて説明するまでもなく、世界的に知られた数多くの研究者・学者(ニュートン、ケインズ、ラッセル等々)を輩出し、ノーベル賞受賞者のもっとも多い大学でもある。
 ケンブリッジ大学東洋学部(Faculty of Oriental Studies)は、東洋言語学部として1890年に創設され、1950年に現在の学部に改称された。しかし、その前進となる研究分野や専攻は17世紀からの伝統を持ち、現在は中近東からのインド中国を経て東アジアに至る諸地域の言語、文化、歴史、政治、経済に関する研究を行っている。教官数38人、学部生112人、大学院生26人で、次の9専攻で構成されている。
 :中国研究(Chinese Studies)、日本研究(Japanese Studies)、ヘブライ・アラム研究(Hebrew and Aramaic Studies)、アラブ研究(Arabic Studies)、ペルシャ研究(Persian Studies)、トルコ研究(Turkish Studies)、インド研究(Indian Studies)、エジプト学(Egyptology)、メソポタミア研究(Mesopotamian Studies)
 九州大学文学部と東洋学部の両学部の専攻や学問領域には共通するものが多く、研究領域と学生交流を推進することにより密接な連携を行いたいというケンブリッジ側の要請を受け、文学部でも学術的な発展のために意義があることが確認され、学術交流協定に調印することになった。協定発行の暁には、積極的な研究交流や情報交換等により、国際的な研究・教育活動の更なる進展が期待される。