紫綬褒章を受章して〜これからの大学教育を想う〜
文学部教授 中野 三敏
聞き手(写真左):有村 隆広(広報誌編集部会主幹)
語り手(写真右):中野 三敏(文学部教授)−紫綬褒章,おめでとうございます。先生は早稲田大学の御出身でいらっしゃいますね。まず,早稲田の文学部に入学された理由,九大においでになった経緯などお話いただけますでしょうか。江戸人の目で江戸を見る
早稲田に入る時は,これでも作家になろうと思っていたのです。受験勉強もそう頑張らないで済みましたし。高校は久留米大附設で,2回生です。早稲田へ行ってみると,当時の私の好みが早稲田風でないことに気が付きました。自然主義よりも鏡花や荷風が好きでしたから。で,彼らが読んだものを読むとなれば,興味が江戸へ向かざるを得ない。その辺りが私の研究のスタートです。早稲田のマスターを終えた後,東京の高校,愛知の短期大学で教えていましたが,今井源衛先生(注1)が,中村幸彦先生(注2)の後任にと九大に採ってくださいました。当時,早稲田から九大教官になることは考えられませんでした。私自身それまで九大とは無縁でしたし,今井先生とも面識はありませんでした。それも中村先生の後任です。驚きました。今井先生も私を採るのに随分と御苦労をしてくださったようで,私にとっての恩人です。
−江戸時代のことを研究されておいでですが,具体的にはどのような御研究なのでしょうか。また,江戸時代と現代とは,昭和元禄などと類似点が語られることもあるようですが,先生の目からは,どのように見えますでしょう。
現代と江戸時代ですか。分かってくればくるほど,現代と江戸時代とは似ていません。また似ていないから面白いのです。現代人は現代人の目で江戸時代を見ようとするでしょう。そうではなくて,江戸の人間の目で江戸時代を見る。その時代の目でその時代を見るということがどこまでできるか。シェークスピアならシェークスピアの時代の目でそれを読む,西鶴なら西鶴の読んでいたものを読んでみる。そういう態度を私は中村幸彦先生から学んだのですが,そうやって,よりその作品,その時代に近づいていく。それは意味あることだろうと思います。現代から見ればそう見えるかもしれないけれども,江戸人の目で見れば決してそうではなかったとハッキリ言った。私の説と認められているのはそういうものであり,今回の受章も,私の仕事と絡めて言えば,その辺からかなと思います。
−その辺りをもう少し詳しくお願いいたします。
これまでは江戸時代のピークを,西鶴,近松,芭蕉の元禄時代と,馬琴,一九,三馬などの文化文政時代の2つと見ることが多かったのです。だとすれば,その中間の時代は谷間だということでした。しかし江戸前期の元禄時代を青年期,後期の文化文政は老年期とすれば,壮年期であるその間は谷間であるはずはない。現代から見ると,2つのピークと見えやすい,分かりやすいということでしょうが,江戸は,江戸の中期をピークとしていたに違いないのです。実際江戸中期というのは,学問と文芸が不思議なくらい密着し,栄えた時代です。雅と俗,品格と人間的なあたたかみとがバランスよく共存していた。雅に属するものには品格と同時に人間味,あたたかみがあった,俗に属するものには人間味とともに品格も備わっていた,そういう時代なのです。この時代は大田南畝などを代表として,実に多士済々です。
変わってきた教養の質−先生は来年3月で御退官ということですが,文学を専攻する学生の質も,先生が文学を志して早稲田に入られた頃とはかなり違ってきているのではないかと思います。教育面で最近お感じになっていることをお聞かせください。
まず,文学部の学生に限らず,普通に大学生の教養と思われることが,信じ難いくらい欠落しています。知っていることの内容が,我々と違い過ぎています。自分が興味ある狭い分野は詳しいが,その分野というのが,文学部の学問との関連性がほとんどなく,しかもそれ以外を知りません。人間に対する興味が失われてきているのではないかとも危惧しています。文学部の3,4年生に渡辺綱の鬼退治の話を知っているかと聞きましたら,18人中3人しか知りませんでした。むろんこれに限ったことではないのですが,諺を知らない,読んでいるべきものを読んでいない,当然あるべき知識がない。古典を教えようとして,これにどう対応したらよいか途方に暮れます。漢文の基礎知識,熟語,漢語とその周辺を知りません。知り合いの高校の校長に,日本漢文を教えさせろと言って迷惑がられていますが,これらは高校の問題であろうとも思います。しかし,これをどうするかは今や大学の問題です。優れた学生はもちろんいますが,その割合はどんどん減ってきています。大学はこのことをよほどしっかり考えていかないといけません。
便利さの落とし穴−今の学生のプラス面はありませんか。
院生を見ると,我々のマスターの頃に比べて,決まった領域での論文の質は上がっています。ただ,これは一種の促成栽培によるもので,今後の伸びは時間をかけて見ていく必要があると思います。
−促成栽培とはどういうことでしょうか。
論文の質が上がったことの理由の一つに,諸条件が整ってきたという背景があります。インターネットその他検索ツールなどの発達で,資料の所在も容易に分かり,必要な資料に最短距離で辿り着くことができます。本も写真もモニターで見,プリントアウトできる。しかし,これで一人の人間の中に研究者としての豊かさが育まれているのか心配なところです。そのことしか頭に入っていません。我々の頃は,どうしてもいろいろ無駄をやることになりましたが,無駄をやっているうちに他のものが身に付くということがありました。また,モニターやプリントで実物を見た気になるのは危険です。それは影を見ているだけのことで,実は見たことになっていないということに気付くべきです。資料は,その現物を掌に乗せてはじめて全体が分かるということがあります。便利なのは良いが,便利さの持つ落とし穴も考えておくべきだと思います。私は「データを作る場合わざと間違いを入れておけば,利用者は注意して実物を見るようになる」と言って笑われています。
大学改革にダブルスタンダードを−「九大広報」第2号は大学改革を特集しております。最後に,先生が最近新聞などで発言していらっしゃる大学改革についての御意見を,分かりやすく御説明いただけませんか。
私は,応用と基礎とのバランスを考えていただきたいと申し上げているのです。行政は応用研究に力を入れているように見えます。それは伸びなくてはいけませんが,応用が伸びるためには,基礎学をきっちりしておくことが大事です。今度の大学審議会の中間まとめに,教官が自分の研究に熱心なのは結構だが,これからはもっと教育に重点を置くべきだとありましたが,私も行政当局にそっくりそのように申し上げたいのです。
例えば,私のところの講座費は年130万円です。講座費は,文系基礎学では教育費で,教官の個人研究費ではありません。そして講座として必要なのは本を買うお金であり,その本が講座の蓄積になっていくのです。自分の研究に必要な本は自費で買い,私でも年300ないし400万円くらいになります。国立国文学研究資料館の調査によれば,年間1,300から1,400万円くらいの蓄積すべき研究書が出版されています。私のところには院生を入れて60人近くいますが,その教育と研究を保証するための費用が年130万円。この水準がここ10数年続いています。これではとても,国が,国立大学での教育に責任を持っているとは言えません。科学研究費は個人研究費として使いますから蓄積にはならないのです。1次資料はまあ難しいとしても,せめて,2次,3次資料の蓄積は,我々教育を行う側の義務であり,ひいては,国立大学と称するのであれば,国家の義務でしょう。
−研究や教育に必要な本はどうされているのですか。
九大の国文学は江戸と平安が中心で,その分野の教官が常時在職しますので,その分野の本は教官が自費で買って学生に見せます。それ以外の分野をテーマとするを学生には,講座費で本を買って何とかそろえています。私は来年3月で退官しますが,退官する時は自費で買った本は持って出ますから,私の講座には,江戸を専門とする私がいたために25年間江戸に関する本は入っていないし,残らないという誠に妙なことになるのです。
−予算を増やす方策は,何か考えていらっしゃいますか。
去年と同じことをやるのなら去年と同じ金額というのが,現在の予算策定の基本方針ですが,だから何か新しいことをやれということになるので,これはまさに応用学向けの方針なのです。同じことを継続していくことが基礎学本来の姿なのですから,予算策定には,応用学向けと基礎学向けのダブルスタンダードが必要だと思います。そうでないと,文学部も応用学風になっていこうとします。しかし,国文学科が,たとえば文化コミュニケーション学科に名前が変わるということは,いずれ人が変わり中身も変わるということで,こうして文学部から哲,史,文をやる人間がいなくなってしまう可能性があるということです。基礎学をやっているところを応用学風に作り変えるのが大学改革ならば,これは困ります。基礎学がだめになると応用学も大変なことになるのでなないでしょうか。文学部のように基礎をやっている所が変わらなくても必要な予算がいただけるような,ダブルスタンダードをぜひ考えていただきたいと思います。
また,学際ということがよく言われます。各教官の研究領域ということでは,学際は当然です。私などもお粗末ながら,そうです。しかし,教育の現場では,学際よりもまずきっちりdisciplineを根付かせることが大切で,interdisciplinaryはそれからというのが常道ではないでしょうか。そういうことを大学の中でしっかり考えていくべきで,改革も本筋を見失わないように進めなければなりません。
−今日はお忙しいところありがとうございました。
中野三敏:なかの みつとし
1935年福岡市生まれ。早大大学院修士課程修了。文学博士。82年から九州大学文学部教授。著書『戯作研究』(中央公論社)でサントリー学芸賞(81年)及び角川源義賞(82年)受賞。98年春の紫綬褒章受章。岩波「新日本古典文学大系」編集委員。
(注1)今井 源衛:いまい げんゑ
九州大学名誉教授。現役源氏物語研究者の最高峰。紫綬褒章受章。1982年退官。(注2)中村 幸彦:なかむら ゆきひこ
1971年九州大学文学部を辞職。名実ともに近世文学研究の泰斗。読売文学賞,朝日賞受賞。1998年5月7日没。
- 写真の説明
- 大田南畝/鳥文斎栄之図
南畝自筆賛(東京国立博物館蔵)