厳しさと優しさ
大学教育研究センター教授 押 川 元 重ある大学から調査に来られたグループに,本学の全学共通教育の実施状況について質問を受ける機会がありました。その中で,九州大学は素晴らしいと繰り返し賞讃を受けたことがあります。それは,本学の全学共通教育の中に,複数の教官で担当する総合科目がいくつか設けられていること,しかもそれらの総合科目がすべて担当者の義務としてではなく,自発性にもとづいて設けられているということでした。複数の学問分野にまたがる課題を総合的学際的に探求する総合科目を設けることが,学生の学習意欲を喚起するためにも,学習への期待に応えるためにも必要であることが提起されているが,その大学においては,なぜ自分の専門とは違った授業を担当しなければならないのかという反論が出て,実現しないでいるということでした。さらに自発的な授業担当などとても考えられないということでした。他の大学のことですが,学生教育にとっての必要性よりも教員の意志が優先しているようです。 学外からの賞讃
授業に聞き入る学生の姿 社会の各方面で活躍されている本学の卒業生の話を聞き,質問し,討論し,レポートを作成することを中心にした総合科目「社会と学問」は,2年目が終わりました。杉岡総長には,半数の講師の選定交渉に当たっていただいているだけでなく,自ら一番前の席で講演を聞かれます。一番驚かされることは,300人以上の学生が熱心に講師の話を聞き,質問する姿です。勉強への熱意が見えない,頼りないといった否定的な評価を受けているはずの学生のそうした真剣な姿を見ると感動さえ覚えます。すべての講師が満足されていることはもちろんです。このように九州大学には学生と教員の双方に素晴らしいところがあります。それをどのように維持し発展させていくかが問題ですし,そのためにも点検・評価があるのだと思います。点検・評価と改善 教育研究活動の点検・評価は,本来それを手がかりにして,改善に取り組むことを目的としたもので,より良い活動を目指すに当たって極めて大切なことです。また,正当性・公平性の確保に困難をともなう点検・評価だけでなく,教育研究活動の内容の公開を重視する方針を本学が定めたことは極めて意義あることだと思います。ところで,点検・評価に関わる議論の中に,ときには「いじめ」の因子が潜り込んでいるのではないかと感じることがあります。誰でも活動が低調なときがあると思います。低調なときは本人自ら苦しむものですし,その苦しみは次の飛躍の土台にもなります。そうした低調なときに「いじめ」にあったとしたらどうなるでしょう。優れた資質をもった人の能力を開花させることにならず,大学にとっての損失になりかねません。教育研究において,その内容に関わる競争・激突は大切なことですが,それは「いじめ」とは別のものです。受験勉強が勉強への契機となりうるにもかかわらず,過度な受験競争がその敗者はもちろん勝者さえ勉強嫌いにしているという状況を見るとき,研究を活性化するための点検・評価が,運用に細心の注意を払わないと,論文の量は増やしても優れた研究を潰しかねないと思うのは,杞憂でしょうか。学生の目に映る教官の姿 最近,全学共通教育のすべての科目・クラスについて,学生による授業評価が実施されました。授業改善に結びつくことをねらいとして実施されたものです。その結果を見て,教育熱心だと自他ともに認めている人が最も強いショックを受けているようです。その人の気持ちが学生に通じていなかったことが明らかになったからです。しかも,それほど気にしていなかった板書や声量についての欠点がデータとなって出てくると,心穏やかでなくなります。しかし,もともと教育熱心な人たちですから,そうした学生の反応を受け止めてより良い授業をつくりだされることと思います。全学共通教育の授業のほとんどが手を抜いて行われていると一方的に決めつける人がいます。全学共通教育の授業を熱心にやれる人がいるはずがないという自らの判断からでしょうか,それとも,押しつけられた全学共通教育の授業なんて真面目にやれるものかと発言する人が一部いるからでしょうか。しかし,実際は,ほとんどの授業担当者は忙しさの中で戸惑っているものの意図的に手を抜くこともなく授業に取り組んでいるというのが事実です。しかし,ごく少数の例外があることも,それが学生アンケート調査や投書に現れますので,否定できません。そうした例外にきちんと対処すべきであることはいうまでもありません。また,真面目にやれるはずがないと決めつけた発言が,真面目に取り組んでいる人の気勢を削ぐことになっていることも事実です。しかも,残念なことは,そうした否定的な評価をする当人がそれを理由にして自らの消極的な態度を正当化したり,4年以上前に無くなった教養部が実体として今でも存在するかのように誤認しているケースが少なくないことです。
全学共通教育の充実と発展へ 全学共通教育を充実発展させるためには,教員が喜んで授業を担当できる環境と条件をつくりだすことが大切です。個人利害だけに基づくのでなく,大学のあるべき姿を求めて行動する人が大部分であることは事実が示していますので,それは実現できると信じます。そのためにも,大学には厳しさとともに優しさが必要だと思います。最後に,これは付け足しですが,大学院重点化大学において本業である大学院の担当に手当てを支給することは論理において問題があるので,共通教育手当て,学部教育手当てをつくるべきではないかとの個人意見を文部省に出しました。