21世紀を目指す九州大学の情報化

九州大学名誉教授/久留米大学附設高等学校長  
樋 口 忠 治

まえがき

 平成11年3月末日を以て退官したばかりで,まだ外から見た九州大学について書くと言うほど客体化ができていないこともあり,また,比較的早くから九州大学の情報化について考えてきたにもかかわらず,在任中に十分な寄与ができなかったうらみもあるので,この際思い切って私なりに今後の九州大学の情報化に対する要望を記してみたい。

 

グローバルな情報化

 わが国の大学のインターネット利用が本格化したのは平成5年度までに大学の情報幹線の敷設が行われてからである。勿論,計算機の利用という意味での情報化はそれまでにも行われてきたが,インターネットという概念で理解されている情報の流通システムは従来まったく存在しないものであった。わが国においてもインターネットの普及と理解が予想以上に早く進んでいることは喜ばしい。しかし,教育の現場での実体を考えるとただ喜んでばかりもいられないのである。

 USAの諸大学はそれぞれに情報の発信を行っているが,その実状は必ずしもわが国において広く知られているとは言えない。ヨーロッパの国々の大学についても同じことが言える。アジアの国々もまったく同じことである。その原因は言語にある。英語圏の場合はだれでも知っている英語だから問題は無いはずなのに,そういう国々の大学のホームページを見に行く者は極めて少ないのである。

 ましてや,フランス,ドイツなどときたら内容がわからない。中国や韓国はどうか。これらの国々の場合は,その文字のフォントが自分のパソコンに用意されていなければ,いわゆる文字化けが出てくるだけで,お手上げであり,フォントの準備もなかなか難しいという問題がある。

 このような現状を見た上で今後の対策を考えると,第一に,従来の英語を始めとする外国語教育はインターネットの利用という点についてみると,あまり役に立っているとは言えないであろう。教材そのものがネットワーク上にふんだんにあるわけであるから,そういう生きた教材を使った教育をしなければならないということである。確かに,文学作品を教えることも重要ではあるが,学生達が現在,そしてこれから先に直面しているのは情報が飛び交う世界なのであって,そうした世界を直視した教育こそ彼らにとって必要不可欠であるといえる。

 第二に,必要な設備や備品を用意するという配慮がなくてはならない。先にあげた中国語や韓国語のフォントは用意しておかない限り,中国や韓国のインターネットの世界を見ることはできないのであるから,そういう国々からの留学生は自分の国のインターネットを見る機会が与えられていないことになる。そういうことでは,九州大学がアジアに門戸を開いた大学であるとは言いにくいのではあるまいか。

 第三に,いまだにインターネットなど吾関せず,という教官が多いということである。研究はインターナショナルであって,今や研究に関する情報は世界中を飛び回っている。そういう時代に生きている研究者は自分だけが蚊帳の外にいることは許されない。それでは若い学生達がかわいそうである。少なくとも,周囲の若い人達がメールを使えるようにしてやるくらいの配慮はしてほしい。

 

外国の大学は

 世界の大学の中でも代表的な大学のひとつ,MITのホームページを見てみよう。最近ではそのデザインが非常にシンプルになった。ただし,ほとんど毎週といってよいほどにロゴマークの画像を更新しているのが特徴である。それはおそらく,この大学の活動のエネルギーをシンボリックに表現しようとしているのであろう。絶えざる前進と変化はこの大学のモットーだからである。九州大学のホームページにもそうした哲学が望まれる。

 ホームページのデザインのシンプル化は最近の一般的な傾向である。それはアクセスのための所要時間を短くするためで,いたずらに多くの画像を用いると待ち時間が長くなり,嫌われることの反省によるものと思われる。

 ハーヴァード大学の場合はWWW以前の情報化が進んでいただけに,その切り替えは大きな痛手であったであろう。遅れて進む者は失敗をしなくて済むということがあるが,先を進む者には常に失敗はつきものであり,それを恐れずに進む者だけに栄冠は待っているのであろう。わが国では長い間,追いつくことを目標にしてきたこともあり,効率第一主義が善であるとされているが,それでは世界をリードすることは難しい。この大学のホームページも現在では非常にシンプルなデザインを採用しているが,以前にはそうではなかった。

 オックスフォード大学(英)のホームページも極めてシンプルなデザインを採用している。ここもWWWへの切り替えに苦労したと思われる。何故ならば,既に早くから情報化を進めていたこの大学では膨大な情報の再組織化を必要としていると考えられるからである。

 ドイツの大学は英語圏の大学の情報化に較べてやや遅れたとはいえ,WWW時代への切り替えはかなり素早かった。全般的な傾向としては,社会一般への情報アクセスがしやすいような配慮がなされていることを挙げることができよう。

 中国の大学の場合,情報化は予想以上に進んでいる。外国からアクセスする場合の問題は文字(簡体字)のフォントが用意されていなければ,正しい文字の表現がなされないということである。もちろんそれ以前に,そもそも中国語が理解できなければ話にならないことは言うまでもない。これは韓国あるいは台湾,タイ,インドネシア,シンガポール等など,アジアの多くの国々についても同じことが言える。これはわが国の場合も実は同じであって,外国からのアクセスに対してどのような姿勢をとるかを真剣に考えなければならない。九州大学がアジアへの窓口を以て任ずるつもりがあるのならば,こうした問題への取り組みを先頭に立って実行していくべきであろう。

 

日本の大学の情報化

 九州大学を始め,東京大学,京都大学等のインターネットのホームページは少しずつその内容が充実してきているとはいえ,欧米諸国の大学の場合に較べると未熟である。わが国の大学の情報化はまだ始まったばかりであり,これから一層の進展が望まれる。

 一,二の問題点を指摘しておくならば,第一に,情報の利用は積極的に行うべきである。大学であるからには,学会や研究会の開催地にもなる。遠くから来る者にとってホテルの予約はどうするか,交通機関はどうなっているのか,時刻表は,食事はどうするのか等など,予め済ませておきたいことがある。そうした情報は営利的なものもあるにせよ,大学として必要な情報サーヴィスではないのか。大学の一部ではないといって余りにも厳しく排除する姿勢は世界の大勢ではない。情報化世界の将来象をよく考えてもらいたい。

 もう一つの例をあげると,未だに九州大学をはじめ各大学のサイトでは世界各国の大学などへのリンク一覧を用意していない。私が言語文化部のホームページにおいて用意しておいたMIT作成のリンク・リストはあまり利用されているとは言えないようである。これでは鎖国状態を続けているようなもので,世界に向かって飛び出していくことは難しい。言語文化部の旧版ホームページにはMITの了解を得て,世界各国の3,000余りの大学のホームページへのリンク一覧を用意していた。こうした便宜が図られていなければ,九州大学の学生や教官達の眼を世界に向かって開かせることはできないであろう。

 少子化社会の現実を考えると,優秀な高等学校の生徒を引きつける魅力がなければ将来が危うい。そのためには優れた研究者がいることを示すために,十分な情報発信をしていくことが必要だ。これは片手間でやれることではない。どうか専任の職員をおいて本気で取り組んで欲しいと思う。他の大学に先駆けてそうして欲しいのである。

コンピュータ端末を利用する学生たち
 

情報化によるCOE

 10年以上にわたってインターネットの世界を見てきて感じることは,日本が世界の田舎であり,九州や福岡はさらにこの国の田舎であるということである。しかし,インターネットの時代には,地理的に田舎であるということは,情報の世界でも田舎であるということを意味しない。明治維新以降,わが国では外国の情報や品物はすべて東京を経由して地方に流れた。外国からの新しい情報をいち早くキャッチするには東京にいなくてはならなかった。情報を制する者が優位に立つ,これはいつの時代にも共通していることだ。

 しかし21世紀の情報化時代にはどうであろうか。インターネットという情報ネットワークの利用法を知っている者こそがまず先に情報を入手し,優位に立てる。この世界では,ニューヨークやベルリーンやロンドンやパリの情報が直接自分の眼の前に届くのであり,なにも東京を経由して来るというわけではない。

 従来型の発想は切り替えよう。われわれ自身が直接世界各地の大学や研究所の研究者と向かいあっていかなくてはならない。いや,研究者だけではない。不特定多数の人々に対して,九州大学はこのような活動をしているのだという情報の発信をすることこそ,世界に向かって自らがCOEであることを示すことになるのではあるまいか。


写真の説明

六本松地区の「情報教育システム」で増設されたコンピュータ端末を利用する学生たち