古典文学研究の現在

文学部文学科教授  
今 西 裕一郎

加工品としての活字本

 一般の人々にとって,古典を読むということは,古典文学全集に収められたテキストを読むことである。いうまでもなくそれは古典への親炙(しんしゃ)の第一歩であり,それを通して人はさまざまな知的財産を蓄積することになるであろう。

 しかし,古典文学全集は古典そのものではない。活字で目にすることのできる古典は,すでに加工され,整形された商品としての古典である。したがって加工,整形の仕方によって,古典の姿はかなり違ってくる。それは,具体的には,注釈書間における解釈の相違,あるいは極端な場合,誤った加工,整形による解釈の誤りという形であらわれる。

 その加工,整形を請け負うのは研究者にほかならないが,研究者個人による解釈の相違や誤りのほかに,もっと大きな,時代による加工,整形の違いもある。

 中学か高校かはもう忘れてしまったが,古典の授業で教わる,柿本人麻呂の有名な歌,

ひんがしの
 野にかぎろひの 立つ見えて
返り見すれば 月かたぶきぬ

は,万葉人がそう詠んだ歌かどうかは,じつはわからない。なぜならば,「ひんがしの……」は,

東野炎立所見而反見為者月西渡

 という素材(この漢字列が『万葉集』の原文である)の,賀茂真淵という江戸時代の国学者による加工品にすぎないからである。つまり,「東野……月西渡」という『万葉集』の原文は,江戸時代もなかばすぎたころになって,はじめて「ひんがしの野にかぎろひの……」と読まれるようになった,ということである。

 

あづま野の煙の立てる所見て

 真淵以前の「東野……」に対する読み方はそうではなかった。この人麻呂歌は長らく,

あづま野の けぶりの立てる所見て
 返り見すれば 月かたぶきぬ
(第五句,又ハ,月西渡る)

図1:寛永板本 と読まれてきた。これとて,万葉人がそう読んでいた(図1)という証拠はもとよりないのであるが。

 おそらく,「あづま野にけぶりの立てる所見て」という,何とも土臭い読みに較べて,「ひんがしの野にかぎろひの立つ見えて」という真淵の読み方が,よほど洗練を感じさせたからであろうか,今日に至るまで,この人麻呂歌は真淵の読みに従って読まれてきたのである。

 けれども,今,万葉学の最先端では,この読み方が疑われている。では,どう読むというのか。たとえば,次のような読み方である。

ひんがしの
 野に燃ゆる火の 立つ見えて
返り見すれば 月かたぶきぬ

ひんがしの
 野らには煙 立つ見えて
返り見すれば 月西渡る
 

 しかしこれらも,まだ学界の公認を得るには至らないようである。万葉人が読んでいた『万葉集』の形を求めて,追究はまだまだ続く。

 

『源氏物語』の場合

 作品がどう読まれていたかということに劣らず,その作品が成立当初,どのような形であったか,またどのような経緯でその作品が形成されたかということも,大きな問題である。古典作品は古典文学全集に収められているような,整然とした形で最初から読者に提示されたわけでは,必ずしもない。

 岩波文庫で80ページほどの『伊勢物語』のような小さな作品でさえ,その成立当初の分量はさらに小さく,現行125章段の半分にも満たなかったかのではないかと推測されている。当然,現行の初段から順を追って書き継がれたテキストではなく,所々に後人の増補章段が差し挟まれているのだ,ということになる。

源氏物語歌絵(附属図書館所蔵)

 『源氏物語』のような大作(岩波文庫で6冊,2,400ページくらいか)にも,同様の問題が潜む。
 『源氏物語』には,注意深く読めば巻と巻との間の筋立ての繋がりが悪いと感じられる,不自然な部分が何ヶ所かある。近代の文献学的思考によれば,それは作者の筆の拙劣に由来するような事柄ではなく,この物語の,一筋縄ではいかぬ成立過程に起因する事柄ではないか,と考えられてきた。『源氏物語』54帖中,ある巻々がまず執筆され,ある巻々は後から書かれて所々に挿入されたといった現行『源氏物語』成立の経緯を想定するのである。

 これはいかにもありそうなことであるが,情熱的な研究者の本文内容の分析による立論にもかかわらず,何といっても千年前のことゆえ,文献資料による実証的な決め手に欠け,今日ではあまり顧みられることがない。

 

計量分析と『源氏物語』

 そのような『源氏物語』成立論の行き詰まりに対して,物語の内容の分析ではなく,文章の計量分析という観点から検討してはどうかという,文部省統計数理研究所の村上征勝教授の誘いを受けて,筆者が村上氏らとの共同研究に参加してはやくも数年が経過した。この数年は分析への準備として,品詞情報を付与した数十万語からなる『源氏物語』のデータベース(図2)作成の日々であったが,その副産物として文脈付きの『源氏物語』総索引(全10冊,約1万頁)を刊行し,遠からずそのCDーROM版も公開する予定である。

図2:データベース(一部)

 このデータベースを利用した分析からどのような成果が出てくるか,今の段階ではまだ予想がつかない(だから,やってみる価値がある)。手始めに助動詞の使用率に基づく計量分析を試みた。それが先日(9月16日)の朝日新聞で報じられ,村上氏とともに筆者まで紹介されたのは,面映ゆいことであったが,正直なところ,それだけではどうにもならない。試行錯誤の多難な前途が待ち受けている。


写真の説明

写真(中):源氏物語歌絵(附属図書館所蔵)