青山 熊治の壁画(工学部)


青山 熊治の壁画

 九州大学工学部本館4階の会議室に一枚の壁画がある。縦2.57メートル,横5.71メートルのこの壁画には,湖のほとりに暮らす昔の人の情景が描かれており,産業の5大要素「木・火・土・金・水」をモチーフに,産業の発達を意図した作品と言われている。

 壁画を描いたのは,明治洋画壇の鬼才と称された青山熊治である。熊治は,2年の歳月をかけて壁画の制作に取り組んだが,完成を目前にした昭和7年12月,46歳で急逝した。熊治が,命燃え尽きる直前まで対峙したキャンバス。そこに,今,私たちが直面しているテーマを汲み取ることができる。

 熊治の自然観を探る鍵は,北の大地に隠されている。明治40年,熊治は,アイヌの住む北海道虻田村(現虻田町)に赴き,作品「アイヌ」を描いた。人々が炉辺で火を囲み,長老の歌物語に耳を傾けている情景だ。アイヌは,歌物語を通して自然から授けられた多くの知恵を伝え,守ってきた。

 しかし,当時のアイヌは,近代化の名のもとに生活の場を奪われ,共に生きてきた自然を破壊され,民族絶滅の淵に追いつめられていた。北の民への抑圧が繰り返される中で,熊治は,アイヌの長老,青年たちと語り合い,彼等から「すべての自然は,魂を持って生きており,神(カムイ)である」ことを学んだ。後に,九州大学の壁画に描かれた「木・火・土・金・水」は,アイヌにとっては,万物の神(カムイ)である。

 人は,自然の中で育まれてきた。自然の中で,多くの知恵を授けられ,それぞれの文化を築き上げてきた。その自然が破壊されたとき,それは,人と文化の滅亡を意味する。熊治が,生涯の仕事として精力を傾けた『九州大学工学部壁画』には,万物の神(カムイ)によって育まれる世界が描かれており,現代に生きる私たちへの強烈な警鐘を打ち鳴らしている。

 なお,本学開学記念行事の一環として,この壁画の一般公開を次のとおり予定している。

壁画一般公開

平成11年5月11日(火)
10:00〜16:00

《作者紹介》
 青山熊治は,明治19年兵庫県生野町に生まれた。東京美術学校(現・東京芸術大学)で西洋画を学び,郷里の生野銀山の坑夫を題材にした「老坑夫」は,明治40年の東京勧業博覧会で入賞。青木繁らと共に画壇に華々しいデビューを飾った。

 その後,「アイヌ」,漁師を描いた「九十九里」,煙突掃除夫を描いた「金仏」など労働者や下層階級の人々などを取り上げた作品が評価を受けた。また,大正2年に第一次大戦下のロシアに渡り,以後9年間,欧州各地を放浪して腕を磨いた。

 熊治と九州との関わりは深く,熊治の師・高木背水と東京美術学校の先輩・岡田三郎助は,共に佐賀の出身である。明治44年,九州帝国大学工学部の西川虎吉教授と知り合い,以後,頻繁に福岡を訪れ,数々の作品を残している。その代表作が西川教授の退官還暦記念に九州大学工学部本館会議室に描いた縦2.57メートル,横5.71メートルの壁画である。