思い出の学舎を後に・・・

大学生活を振り返って


法 学 部 衛藤 達生
 

衛藤 達生さん  徐々に春の訪れを感じるこの頃,ふと思い当たることがある。あれほど待ち遠しかった春の訪れは,別れのときを告げる,じつに疎ましいものではないか。一度そう思うと,無理を承知で時間を逆戻りさせてみたくなる。

 嫌々ながら同行してくれた友人をほったらかしにして,一人で喜びのあまり走り回った合格発表から,もう4年になる。新たな友人ができ,自分で自分の時間の使い方を決定することの喜びと辛さを知り,テレビや本の中の出来事を自分で確かめることができた。

 その中でも,バングラデシュにボランティアに行ったことと,法学部親善バレーボール大会とゼミガイダンスを企画,実行したことは印象深い。バングラデシュでは,言葉の壁はあるが,友人ができた。その友人のために何かしてあげたい。しかし,どうすればよいのか分からない。無力感で潰されそうな私に,その友人は私が理解できるはずもないベンガル語のラジオを聞かせてくれた。そのときから,「何ができるかで悩むより,何をするかを考えよう,きっと通じるものがある」と思えた。

 バレーボール大会とゼミガイダンスでは,私の個人的な思いで始めたことが,多くの人の協力や参加によって,「公共」のものになっていくことを実感した。責任の重さに比べ,自分の能力の過小さに痛みを覚えながらも,何とかやり遂げた後の充実感は格別のものであった。個人の小さな力でも「公共」のサービスを提供できると確信した。

 いくら駄々をこねても,過ぎた時間は戻らない。しかし,記憶はよみがえる。特別な記憶だけでなく,友人と過ごしたたわいのない記憶も,私が社会人として進んでいくとき,頼れる力となるだろう。もし過ぎた時間が記憶になるために,自分の記憶に信頼を与えるために,区切りをつけることが必要ならば,卒業も悪くないのかもしれない。別れは辛いが次の出会いは楽しみである。

 春が待ち遠しくなった。