開学記念講演会・講演要旨

「江戸時代の出版」


文学部教授 中野 三敏

 

 江戸時代が出版文化の時代であったというのは周知の事柄でしょうが,その具体的な有様はそれほど一般的に理解されているわけではないように思います。無論,研究者を志すのでもない限り,そんな知識を特に必要とするわけでもありませんが,残念ながら図書館という,いわば職業として弁(わき)まえねばならぬはずの部署においてさえ,昨今は電子機器の扱いにはいやでも習熟することが要求されるものの僅々(きんきん)百年前の書物の取り扱いについては,吾関せずはまだ良いとして,知識がないばかりに,怖い物には蓋,触らぬ神に祟り無しの故智に倣ってひたすらしまい込み,それでも文化財の保存につとめるという口実だけはしっかりと用意するという風潮が広まりかけているのは,いかにも残念なことのように思われます。

 そこで,ごく基本的な事柄について,少しでも多くの方に知って戴く為にお話してみようと思います。
 過去を理解する態度には,大きくわけて二通りあるように思います。一つは現代の側から過去を見る,つまり過去の事象に関して現代的解釈を施すもの,もう一つは過去に即して過去を見る,つまり江戸時代の事柄は江戸時代に即してそれを解釈しようという立場であります。無論,いつの時代でも大勢は前者にあって,それはそれで十分大事なことだと思いますが,後者のような立場は,れっきとした研究者の間でも,口で言うのは簡単だが,実際にはどこ迄やれるものやらという,冷ややかな,あいは諦めの反応が一般的であるようなのが残念な所です。実は江戸時代に限っていえば,この後者のような立場を取ることはかなり可能な事と言えます。

江戸絵図  その大きな鍵が,江戸時代の書物の扱いにあるのです。日本という国の極めて特殊な現象とも言えるのですが,江戸時代には出版という,まさにマス・メディアの技術が大きく成長・発展したことによって,頗(すこぶ)る大量の書物が作られ,それによって文化の頂点から末端に至るまで,そのほとんどの部分が伝播されました。その後百年から三百年を経た今日においても,その内の多くの書物が残され,それはまさしく,その書物が出版された時点の感触をそのまま今日に伝えてくれるものとして残りました。従って今日吾々は,その書物を掌に載せたとき,それが元禄十五年に出版されたことが確実な書物であれば,元禄十五年そのものを掌の上に置くということが,まさに物理的に可能であるわけです。しかも書物は石ころとは違って,例えどんな物であれ,その内容はその著者の頭脳の中で確実に一度は文化的営為としての処理がなされたものなのです。だからその書物が与えてくれる情報を,内部的にも外部的にも十全に汲みとることができれば,まさに江戸に即して江戸の文化を理解することができるのです。

 そのように書物が伝えてくれる情報の凡てを物理的に受け取る技術や方法を,吾々は書誌学と呼んでおりますが,これはまさしく技術ですから,志さえ持てば,あとは経験と習練の積み重ねによって,その技術を習得することができます。もちろんそれには時間と志の持続が何より必要なので,すぐというわけにはいきませんが,今回は更にその入り口というべき出版文化の諸問題について,何くれとなくお話をしてみたいと思っております。


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