開学記念講演会・講演要旨

「人の舌を超えた味覚センサー」


大学院システム情報科学研究科教授 都甲  潔

 

 センサーはこれまで高い選択性が重要視され,開発されてきた歴史をもつ。確かに視覚,聴覚,触覚に相当するセンサーでは,それぞれ光,音波,圧力(そして温度)といった単一の物理量を選択的に高感度で受容することが大事である。他方,味覚や嗅覚は非常に多種類の化学物質を同時に受容して生じる感覚であるため,その受容レベルにおいてすら開発が遅れていた。

 味覚や嗅覚を代行するセンサーは,これまでのセンサーと異なる設計指針をもつべきであり,ここで紹介する味覚センサーは生体膜の構成成分である脂質を受容部に成膜化することで,味を呈する化学物質の受容,そして味質の識別と味の定量化に成功している。味は化学物質に固有の性質ではなく,生体膜に作用することで初めて現れる概念であり,マルチチャネル味覚センサーは,その作用を受容レベルにおいて再現するというインテリジェンスを有している。味覚センサーは,世界で初めて味の定量化に成功したバイオミメティック(生体模倣)デバイスの一つである。

 21世紀は人の原点に立ち返り,人に優しい,人を幸せにする科学技術を再考する時代であり,その意味で「感性」とは何か,人の心に立脚した技術,を積極的に追求しなければならない時代ともいえる。味覚センサーは生物の味覚から生じる感性を定量化するものであり,すでに感度・持久力の点で,人間の舌を超えている。今後,食品の味の定量的評価や製造・検査工程の自動化など広範な応用が考えられる。さらに近年のバイオテクノロジーの発展で,新しい薬物や食糧生産技術が生まれようとしており,人間が直接試食できないような天然物や合成物の味の分析や合成などの操作を味覚センサーで行うことが可能であろう。

 また水質の安全性を事前にチェックする水質センサーとしての応用も期待されている。何が口に入ってくるか分からない状況で,化学物質が安全か毒かを判断するのが味覚の本来の機能であり,味覚センサーはまさしくその設計指針で開発されたものだからである。

 生物は外界を認識するセンサー(五感)を有しているがゆえに,この地球上を謳歌した。しかし,人間は自分の五感ではもはや検知,制御できないほどの物質や力を得るに至り,今度はそれらを認識,制御できる人を超えたセンサーを必要としている。味覚センサー開発はその試みの一つに他ならない。

 

6種類のビールに対する応答パターン

6種類のビールに対する応答パターン
(各放射線軸はセンサー受容膜の応答電圧,軸のフルスケールは20mV)


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