ソウル大訪書の記


文学部教授 中野 三敏
 

 言語文化部の松原教授に,在韓国和古書類の悉皆(しっかい)調査の必要性を打診され,深くも考えずに頷(うなず)いたのが事の発端で,訪書のお誘いをうけたのが去年の夏のこと。松原氏を東道の主と定めて,国史の佐伯君と,国文学研究資料館の入口助手と私との同行四人,まずは第一回目を九月の末つかた四泊五日の旅をした。

 隣国の便利さは,東京へ行くより簡単で,まるまる時間が使えるのにまずは感心。このときは高麗大,ソウル大,ソウル中央図書館の三ヶ所が当面の目的であったが,とまれこの国の大学キャンパスの佇まい,建物の余裕ある立派さには正直驚いた。というより現代日本人の持つ大学キャンパスに関するイメージの貧困さを思いしらされたという方が良いか。要するに社会における大学というもののステイタスが一目瞭然であった。

 高麗大図書館には予期したとおり和古書の書影は殆ど見かけなかったが,代わりに漢籍,唐本の充実ぶりには瞠目した。明版などは普通書といった感じの配架で,手当たり次第に拝見したが嘉靖・万暦の善本揃いと評するに吝(やぶさ)かではない。

 嘆息しつつソウル大へ。館長の秦先生は西洋哲学の御専門とあって極めて開明的なお考えの持主らしく,ともかく見てくれとのこと。早速に書庫へ入る。天井はあくまで高く,冷え冷えとした書庫独特の香りと冷気。書架の間を往き来しながら何故か次第に懐かしい気分になった。実は十数年前,ソウルオリンピック開催の前年にも一度,この書庫をチラリと覗く機会を持ったことがあるのだが,それは後述するとして,その意味での懐かしさとも全く違う。

 そのとき同行の佐伯君の「まるで文学部の書庫に居る感じですネ」の一言で率然この疑問は氷解した。要するに旧帝大文学部の蔵書としてしかるべき蔵書内容がきっちり揃えられ,しかもある時期は日本国内のそれより遙かに潤沢な購入が約束され,終戦以来五十年,保存のみが心がけられ今日に至るので,汚損・欠損も殆んどなく,静謐(せいひつ)完好な状態の文学部書庫に佇む懐かしさを満喫していた訳なのであった。

 それは一時期,九大文学部書庫を蹂躙したあの運動の波を被ることもなく,九州特有の蒸し暑さと換気の悪さによって大増殖する虫害も受けず,最低劣悪と評するに何の躊躇もいらぬ図書購入費のために破損欠損の補修や穴埋めもできぬままに放置されるという運命にも遇うこともなく,「予待つことの久しき,何ぞ来ることの晩きや」の嘆を発して,五十年間ただひっそりと後人の来訪を待っていてくれたように思えてならなかった。

 憶えば十数年前,今井源衛先生の在韓に合わせてソウル大を訪問したときは,冬でもあったが張りつめた空気の中で,主客ともにピリピリしながら,まるで悪い物でも見るような様子で,書庫の一隅をただ通過するだけ,本に触れることさえ遠慮せねばならなかった。ひきかえて今回のこの大らかさは,相互理解の必要性への了解が着実に生じていることの確かな肌ざわりを感じさせてくれた。

 全蔵書の内,和古書は概ね三千点,従来の部分的な報告によって持ち得た期待を遙かに越えていた。中でも草雙紙(くさぞうし)八百点の纏(まとま)りは恐らく日本国内にも類を見ないし,狂歌本二百点余りも,数においては九大の富田文庫に次ぐか。その他殆んどのジャンルに満遍なく,帝大図書館としての基本的な和古書類が揃えられていて,紛れもなく国内でも有数の大学文学部書庫一つ分が,そのまま出現したことになる。保存のために払われ続けたソウル大当局の配慮には,どれほど感謝してもしきれぬものを感じたことであった。

 今秋は更に十四人という大人数で悉皆調査に入り,一週間かけて全部の調査カードを取り終えたことは,既に新聞報道もされたことゆえ略す。現在はそのカード類の整理に,学部生・院生あげて大童(おおわらわ)の毎日である。