バイオテクノロジーに関する研究交流の試み

法学研究科助教授 熊 谷 健 一


はじめに

 日本の大学においては,自分の専門分野以外の研究者との研究交流が活発に行われているとはいえません。学際研究の重要性が叫ばれている今日においては,総合大学における研究交流の活性化が求められています。

 九州大学の農学系の研究科である生物資源環境科学研究科の有志と法学研究科の有志は,平成6年度からLHL(生命・人間・法)研究会を組織し,バイオテクノロジーに関する各種の問題について,自然科学と社会科学双方の観点から検討を行っています。研究会の活動の一環として,大学院における交流講義も行っていますが,理系の研究者による法学研究科におけるバイオテクノロジーの講義には,学部生も含めた多くの学生が出席していますし,文系の研究者による生物資源環境科学研究科における技術と法に関する講義では,幅広い問題を取り扱いつつ,議論を行っています。

 

研究会発足の秘話

 九州大学の理系キャンパスと文系キャンパスの間には,細い道が一本存在するだけです。しかし,その道は,理系と文系の研究交流に関しては,無限の広さと深さをもった道にも思えることもあります。
 私たちの研究会が発足するに際しても,理系の研究者と文系の研究者が知己であった(それまでに交流があった)わけではありませんでした。「偶然」の出会いが研究会の発足のきっかけになったようです。
 当事者の名誉もありますので,詳しくはお話しませんが,研究室のOBから仕事のうえで法律の知識の必要性を訴えられていた農学部のある先生が「居酒屋」で学部長相手に相談をしていた(こぼしていた?)ところに,法学部の先生が入ってきたのがきっかけだったようです。農学部の学部長がその法学部の先生を知っていたのは,たまたま学生時代に野球部でバッテリーを組んでいたからとか。この偶然がなかったら,研究会は発足していなかったかも知れません。

 

研究会の成果

 研究会では,バイオテクノロジーに関する研究を行ううえで避けて通ることができない問題である知的財産の問題についても議論を行っています。知的財産とは,人間の知的創作活動の成果物である発明(特許法),工業上のデザイン(意匠法),著作物(コンピュータ・プログラムやデータベースも著作物です。著作権法)等に加え,営業上のマークである商標(サービスマークを含みます。)等を総称したものです。知的財産の重要性が指摘されるようになった背景としては,近年における技術開発投資の増大,新技術の出現,経済の国際化等が挙げられますが,特に,バイオテクノロジーの分野においては,開発対象である生物が他の技術と比較して種々の特徴を有しているため,その成果物の保護のあり方を考える場合にも,それらの点を考慮する必要が生じます。

 1.生物(生命を有する)であること
 生命を有するからこそ生物なのですが,その点が他の工業製品との一番の違いでもあります。特に,欧米においては,動物愛護団体,自然保護団体,宗教団体等から倫理及び宗教上の観点から,生物に知的財産保護を行うことを危惧する意見も出されています。
 2.自己増殖すること
 生物は自己増殖をする点においても他の工業製品とは異なります。他の工業製品の場合は,その工業製品に知的財産が成立していても,譲渡(販売等)された後にその数が増えることなど考えられません。このため,一般には,販売等の行為により,権利の行使は終了したものと考えられており,製品の購入者は,その処分(再販売,貸与,使用等)を自由にできることとされています。しかしながら,生物の場合には,自己増殖することにより,その数が増加する(場合によっては,飛躍的に)ことが考えられますので,購入後に増殖したものは,誰のものか(権利が及ぶかどうか)という問題が生じることとなります。
 3.書面による開示が困難なこと
 特許制度は,技術の開示の代償としての発明の保護を図る制度であり,開示は書面によることを原則としています。書面による開示は,その分野の専門家が容易に実施できる程度に行わなければならないこととされています。しかし,生物については,書面による開示が困難な場合も多く,専門家が容易に実施できる程度に開示することができない場合も存在します。このため,特許制度においては,発明の実施をするために必要な生物については,特許出願を行う前に寄託機関に寄託することにより,発明の開示に代える制度が設けられていますが,生物細胞の寄託に関しては,安全性や汚染等の問題も発生することとなります。
 

おわりに

 研究会が発足して早5年になろうとしています。予想もしていなかった成果の一つとして,法学部の学生が農学部の大学院に進学するということも実現しました。学生本人の強い意志があったことも事実ですが,研究会の存在が何らかのサポートとなったのであれば何よりかと思っています。研究会では,今後もバイオテクノロジーに関して発生する問題について,自然科学及び社会科学の研究者がそれぞれの立場から活発な議論を行うことにより,相互理解を図りつつ,問題の解決に努めていこうと思っています。研究会の成果が研究交流の一助となるとともに,学生諸君が学部を越えた交流をするきっかけともなれば何よりかと思います。

(くまがい けんいち 知的財産法)


知 的 財 産 知的創作物 特許法
実用新案法
意匠法
著作権法(プログラム・データベース等)
半導体集積回路法
不正競争防止法(ノウハウ・商品形態)
種苗法
営業標識 商標法(商標・サービスマーク)
商法(商号)
不正競争防止法(周知・著名商標等)