情報処理学会功績賞を受賞して
情報処理教育35年
−情報処理学会の功績賞受賞,おめでとうございます。実は私,大学院の博士課程に在籍していましたとき,講師で九大に来られたばかりの牛島先生から,初めてプログラミングの講義を受けまして,これからはコンピューターの時代になるという強い印象を受けた思い出がございます。1964(昭和39)年頃のことです。功績賞は,以来約35年間にわたる先生の御功績に対してということでしょう。
この賞は,情報処理に関する学術又は関連事業に対し特別な功労がある者に与えることになっているのですが,九州にあって全国的に影響を与える仕事をしたということで頂いたのだろうと喜んでいます。
牛島 和夫(うしじま かずお) システム情報科学研究科 東京大学大学院修士課程修了,工学博士。専門は計算機科学,ソフトウェア工学。
学問の長い歴史から考えれば情報処理というのはごく新しい分野です。情報処理は計算機というハードができて初めて生まれましたので,草分けの先生方は,電気工学や,物理学,数学の御出身です。情報処理学会が発足したのは私が大学4年の時でした。私は数理工学コースの学生で,私の指導教官は統計工学の立場から大量の計算を高速に行う可能性に惹かれて初期の計算機に関わったのだと思います。学部学生時代には数値計算の演習はタイガーという手廻しの計算器でやっていました。当時は「情報」という言葉すら珍しかった。
私が情報処理学会に入会したのは九大に来てからです。したがって,私はいわば第2代の人間です。以来,計算機のハード・ソフトの概念や情報処理という考え方が世間にも広く一般化してきましたが,その過程とともにずっと働いてきたと言えるでしょう。情報処理学会の会員は現在2万8千人です。−新しいが,短い期間に大きく発展したのですね。
情報関係で日本で最初の専門学科は,東工大,電通大,山梨大,阪大,京大にできました。1970年のことです。九大にはその翌年にでき,これは工学部の通信工学科を改組する形をとりました。産業界はともかく,学術的には,情報処理という学際的な新しいジャンルを独自の学問分野としてきちんと認知させ,定着させるのは大仕事でした。ある意味では,私はこれに掛かり切りだったともいえます。日本は既存の枠組みがあまりに強く,大学の新規学科の設置でも「初めに既存の分類ありき」でそこに押し込もうとする。
1984年には理工系情報学科協議会の第6代会長になりました。全国的な立場で各種の活動を始めることになったのは,その頃からです。
−情報処理専門教育の基盤整備は先生の主な御功績の一つですが,一口に教育と申しましても,教室レベルから国の情報技術者養成プログラムにまで多岐にわたるわけですね。
聞き手:高木広報委員 (工学研究科教授)
1987年に通産省の審議会から「高度情報化を担う人材が西暦2000年までに97万人不足する」という報告が出ました。これに対して文部省は,情報関係学部や学科の入学定員の増加を年率7〜10%とする目標を示したのです。ところが新しい分野ですから,多くの大学で,教える先生はいない,カリキュラムはどうすればよいか分からないという状態です。文部省の委嘱を受けて,情報処理学会が「大学等における情報処理教育の改善のための調査研究」を行いました。私はこの調査委員会でコンピュータサイエンス分科会の主査を引き受けました。91年3月には理工系情報専門学科のための推奨カリキュラム「J90」を提言しました。これは文部省の後押しもあって非常にインパクトがありました。情報技術の発展のスピードは速いので,97年には後継者たちがその改訂版を作りました。
コンピュータの問題と可能性
−コンピュータはどのあたりまで発達するものでしょうか。言葉による操作や同時通訳ができるのも間近いとか申しますが。
限られた条件では可能でしょう。たとえば学会の登録やホテルの予約などです。しかし,一般の話し言葉にはそれぞれに文化的背景があります。したがって,周辺条件のはっきりしない場面では,難しい面があります。−なるほど。「ちょっとむつかしい」との表現も,言い方によって多少の困難から不可能まで,伝わる意味に幅がありますね。微妙なニュアンスという問題があります。実際会って話していたのが電話になり,さらにそれがE-MAILになると,人間関係も変化してくる。そういう意味では,情報化が進むということは,既存の文化に与えるインパクトとしても強いものがありますね。
新しい技術を皆で使えばハッピーですが,一人が独占的に使うとその人が勝ちます。−抵抗はあっても使わないと負けてしまう。 ウィルス,ハッカーなど危ない面も確かにあります。しかしそれを防ぎながらうまく使うと,使わない相手に勝つ。今のアメリカがそうです。アメリカは,インターネットの存在を前提にした社会になっています。日本はまだ,情報化というものを本当には理解していないように思います。
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−企業の勝ち負けや産業の振興・活性化などは別にして,情報の広範な流通自体にも,倫理面などいろいろな問題も生じてますね。
倫理面を含めて,情報化が何を生むか本当にいろいろなことがまだ分かっていない。−例えば,先生の身近なところではどのような。
私の場合,教育つまり人材の養成がまずニーズとしてあります。それが研究や社会的な活動につながることが多いのです。
学生の書いてくる文章を能率よく効果的に指導したいということが,文章をチェックする「推敲」というツールの開発につながりました。これは文章のここはおかしいのではないかというところを指摘するソフトです。おかしいところを自動的に直すようなことはしません。このソフトに関心を持つ会社の助けを受けて出版しました。大学が作ったソフトを売ったというので当時は話題になりました。−なるほど。今では多くの人が日常的にそのような機能をもったパソコンソフトを使っています。そのはしりですね。特許をお取りになればよかった。
特許よりも,この研究に関わった博士課程の学生に学位を取ってもらう方が先でした。
それから私は,論文や文書には索引を付けるようにいろいろな場面で指導したり主張したりしています。この3月に出したシステム情報科学研究科の自己点検・評価報告書にも,巻末に索引を付けました。索引にどのような項目を選択するかは,読み手の予備知識を想定し読み手に何を伝えたいかに依存します。良い索引は情報を的確に選び出す上で効果があります。−なるほど。何十ページもある文書からポイントを読み出そうとすればそれなりの技術的な支援が必要で,まさに情報処理という御専門からの発想ですね。ほかに,情報処理の専門家というお立場から,社会や教育に関してアドバイスをいただけませんか。
教育の現場でインターネットをいろいろ工夫して用いてみると,予期しないものが出てきます。レポートをE-MAILによって提出するようにします。私はこれを受け取り,文章指導・質問・注意などを付けて,書いた本人のみならずその演習に参加している全教官・全学生に返すことが容易にできます。そうすると,これまで文章指導は1対1だったのに,例えば300人全員に私の考えを伝えることができるのですね。もちろん受け取った人はそれを無視することも自由ですが。−書く方に新しい気配りが必要になりますね。私どもの専攻・教室でも,電子ネットを用いて会議を行っています。そうすると,互いに誤解が生じないような,あるスタイルをもった表現が必要になります。新しい手段から新しい対話文,文化が生まれるかもしれません。
新しいメディアを的確に使うやり方,その可能性はまだまだたくさんあるのではないかと思います。新しい試みがいろいろできて面白いですよ。ただE-MAILで受け取るレポートはどちらかというと紙に書くよりプライベートな文体を感じます。−私の専門分野(応用化学)では,化学式を使ってやり取りする必要が多いので,単純なE-MAILだけでは難しい面があります。媒体に即した,新しい訓練が重要になってくるのでしょう。電子会議についても,年長の方への反論は書きにくい。私もいい加減に年配ですから,私が先に書いて若い方はきっと迷惑しているでしょう。顔の見える会議ですと,相手の反応を見ながらトーンを変える,という手が使えるのですが。
情報化社会の未来
−大学では事務の電子情報化,ペーパーレス化もこれから大きな課題です。
ペーパレス化は結果であって目的ではない。情報化の意義は,情報の共有化,情報伝達の迅速化・双方向化,それによる意志決定の迅速化の可能性です。これらのことを踏まえて仕事のやり方が変わってくることが大事です。ハンコの数をいくつも積み重ねることがなくなったり,情報を共有すれば了承を取るために縦割り組織を泳ぎ回るなどということがなくなることです。ただ,事務ではセキュリティの問題が大きいでしょう。−出張や研修の届けなど,一般的なものはどんどん電子情報化してほしいと思いますが。工学部・システム情報の事務部は努力しています。うまく機能すれば皆が恩恵を受ける。でも,広く社会に目を向けると,これまた問題だらけではありませんか。
そうです。でも情報技術を使う人だけが勝つようだと使わざるを得ないでしょう。−情報化社会の未来は,バラ色ばかりではないということでしょうか。
グーテンベルグの印刷技術は教会に独占されていた聖書を世に広めた。放送によって西の情報が大量に流れ東の人たちに共有されてベルリンの壁が崩れた。いま,インターネットによって膨大な情報を皆が共有できるようになりました。これが世界文化に与える影響は非常に大きい。
話は戻りますが,中国人の学者に,先ほど私が申した索引は西洋的文化だと言われました。本を最初のページから終わりまで100回読む。そうやって1冊を理解するのが東洋の文化だと。−東西の文化の違いをおっしゃったのですね。ただ,それは急速に変わり得るのではありませんか。共通の価値観も出てくる。中国でもチェーン店のハンバーガーを食べていますよ。
共有した大量の情報をどう料理するかは,あくまでも個人の能力・資質の問題です。場面によっては,情報取得のスピードが極めて重要になるかもしれませんね。−忙しくなる一方ということでしょうか。
国際金融ディーラーのように,情報を入手してからアクションを起こすまでのコンマ何秒の差で,大金持ちになるか一文無しになるかが決まるというのはたまりませんよね。社会システムの安定のためには世界規模での取り決めを考える必要があるのではないでしょうか。問題有りとなれば,ネットワークでつながれた多くの人たちが一緒になって直ちに対策を考えて抑止力になるというのが大事ですね。それに,情報化に無関係で,晴耕雨読で過ごす生き方だってあるでしょう。−それを伺って,少し安心しました。
ただ情報手段と情報を共有していないから,そういう人と一緒に仕事をすることになれば大変でしょうけど。−今日はお忙しいのにお付き合いいただき,ありがとうございました。
(インタビューは,平成11年6月10日午後4時から約1時間半,システム情報科学研究科長室で行われました。)