寄生虫学発展の功労者 宮 入 慶之助
宮入慶之助は,明治35(1902)年ドイツのレフラー教授の研究室に留学し,明治37(1904)年京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医学部)教授に就任した。当時の日本の低い保健状況を痛感され,博士は衛生学の中で特に寄生虫の研究に重点をおかれた。博士は鈴木稔助教授とともにまだ生活環の不明であった日本住血吸虫の中間宿主の探索をし,1913年ついに佐賀県鳥栖市で小巻貝を見いだし,これが目指す生物であることを実験で証明した。この貝は後にミヤイリガイという和名で呼ばれるようになった。
この発見は世界的に重要なもので,このことを知った英国のライパー博士がアフリカに分布する他の2種の住血吸虫の中間宿主貝を見つけるきっかけとなった。後に英国の熱帯病理学者ブラックロック教授は宮入博士をノーベル賞候補に推したが,受賞は実現しなかった。ミヤイリガイ発見を記念し,鳥栖市近郊に学勲碑が建てられている。
文責:多田 功
(ただ いさお 医学系研究科教授・寄生虫学)