中国医科大学(中国)


 私は平成11年5月23日から6月6日までの2週間,日中政府の技術協力プロジェクトである中日医学教育センターの短期専門家として,中国遼寧省沈陽市の中国医科大学普通外科で,内視鏡治療の指導と学生の講義に従事しました。

 沈陽市は以前は奉天と呼ばれ日本の満蒙政策の拠点であった都市で,市内外には当時のことを後生に語り継ぐための記念館が所々にあります。帰国後,奉天に行ったことを話すと,幼少時を奉天で過ごしたという方々に少なからず遭遇し,奉天,満州と日本の関係が非常に深かったことを思い知りました。

 沈陽へは関西空港,大連経由で入りましたが,福岡を朝の8時に発つと昼の1時には沈陽に到着します。一人旅に対しては通関検査が厳重のようで,沈陽ではスーツケースを開けられ,講義用のビデオテープを危うく没収されそうになりました。

 中国医科大学普通外科には本学で研究されたことのある教授がおられ,また中国医科大学には日本語で医学教育を受けるクラスがあり,そこの卒業生が通訳を引き受けてくれましたので言葉に不自由することはありませんでした。

写真1  沈陽は人口約600万人の大都市で外来も病棟も人で溢れています。 写真2 看板は,なんでも英語をカタカナにしてしまう日本とは異なり,漢字混じりの英語表示が印象的でした(写真1)。さらに,名誉教授による有名教授外来があるのには非常に驚きました(写真2)。

写真3  中国には胆石が多く,手術が選択されることが多いようです。2週間で5例の胆道内視鏡(ERCP)を行いましたが,胆管結石が大部分でした。1例,胆管内に回虫が迷入した患者さんがおり,写真3のような回虫を内視鏡で摘出した時には患者さんからは握手を求められ,見学していた医師,看護婦さん,学生から拍手を頂きました。中国ではマンパワーの不足もありなかなか内視鏡治療に費やす時間がないようでした。

写真4:筆者右端  学生は1学年に約600名で,超マンモス医科大学です。皆,学内の学生寮に住んで日夜勉学に励んでいます。病棟の患者さんの回診を一緒にしてディスカッションをしました(写真4)。驚いたことに朝から病室には患者と患者の家族がたくさんいて,レントゲンフィルムは患者本人がベッドの下などに保管していました。日本語クラスは非常に積極的に質問をし,将来が楽しみな医学生でした。

 食事は中華料理で,美味,廉価で,2週間でほとんど同じ料理にあたらなかったのは中国の食文化の奥深さでしょうか。またいろいろな歴史的記念館を訪れた日本人の私に対して,優しく丁寧に説明してくれる中国の方々の懐の深さを強く感じました。

 中国での2週間は,ポケットベル,携帯電話から解放され,夜の8時には宴会を終えてホテルでひとりになれる貴重な時間を与えてくれました。沈陽での滞在中はセンターの首席顧問である九州大学名誉教授永田武明先生,山本雄子調整員,通訳を引き受けてくれた崔国元くんに非常にお世話になりました。今後とも九州大学と中国医科大学の友好関係が継続することを祈っております。

 

 中国医科大学は,昭和59(1984)年12月,九大医学部と部局間交流協定を締結した。

本稿の筆者
  横畑 和紀(よこはた かずのり)
  医学部附属病院 助手
  腫瘍外科学