ワイル病病原体の発見者 稲田 龍吉


稲田 龍吉博士  稲田龍吉博士は,明治33(1900)年東京帝国大学医科大学を首席で卒業後,明治35(1902)年ドイツ留学,明治38(1905)年帰国とともに福岡医科大学(現九州大学医学部)第一内科初代教授に就任した。

 大正3(1914)年ワイル病病原体を発見。周到な研究方針と該博な学識に基づいて本病に関する研究を行い,大正4(1915)年9月「日本黄疸出血性スピロヘータ病論」と題して発表した。稲田通り碑 その内容は病原体の発見から感染源,感染経路,臨床,病理,診断,治療及び予防に至る完璧な内容であった。大正9(1920)年東京帝国大学内科学教授として転任。昭和19(1944)年文化勲章受章,昭和25(1950)年逝去。

 稲田博士らが大正3(1914)年に分離したIctero No.1株は,その後我が国の学者によって維持され,分離から76年を経て,平成2(1990)年大阪で開催されたレプトスピラ分類委員会で病原性レプトスピラの基準株として承認された。同業績に対し,北里柴三郎博士とともに日本人として初のノーベル賞候補に挙げられた。

文責:石橋 大海
(いしばし ひろみ 医学系研究科助教授:病態修復内科学)