『空間へのパースペクティヴ
−九州大学「空間」プロジェクト』
納 富 信 留,溝 口 幸 司 著
学問は,時間や空間を超越した真理・真実を探求してきた。時間や空間の超越と同様に時間や空 間の制約にも学問は深い関心を払ってきた。多くの学問,科学を生んだ学問の母地理学もその一つ である(Aera Mook 1999)。オクスフォード大学の地理学部の私の講義での最初の質問も,空間と 場所に関するものであった。本書の巻頭で,編者の納富は「真の学際対話を目差して」,新たな「 知的渦」が「九州から全世界へと拡がっていくことを望んでいる。」と結び,知的創造の「空間」 を提供している。九州は,世界分界協定に始まり,明治維新,冷戦構造と世界の「近代化」の過程 で常にその境界帯に属し,内外の変革を同期化し,相乗化し,新たな次元へと日本を移行させてき た。九州には,こうした構造変革を受容する空間的「余地」と時間的「余裕」があり,変革を推進 する風土と気迫に満ちている。本学に奉職して7年,最初の質問から21年ぶりに共鳴して学問を再 考する「空間」を持ち得た。この思いは,読者の全てが共有できる喜びであろう。この風土に再び目覚めた九州大学の「若手研究者」を結集した本書は,共有空間に凝集した時空 を超越した英知が生み出した,現代の学問への脱皮の第一歩である。学問に於いて「分析の対象と しての空間と分析の道具としての空間」(林,P.293)の峻別は肝要で,空間事象と分布空間の概念的 定義と方法論的確立が,が,空間科学においてはまず求められている。理論的な文理に亘る学際研 究では,特にこの点は避けて通れない。
自然空間と物理的空間,生命空間と生理的空間,人間空間と心理的空間といった多様な概念の中 で,本書は,まず人文科学の側面から空間の洞察を行なっている。この洞察を時間・空間を超越し, 自然・人間を包摂した「風土」から入っていることは,「新風土文化産業論事始」(地理学報告68, 1989)を一つの研究課題としてきた評者には興味深い。和辻(1935)が「風土―人間的考察」で,フ ランスの人文地理学との差違を述べている,それだけに納富論文とフランス地理学の第一人者野沢 の批評(P.25〜P.58)は示唆に富む。主観や客観,主体や客体に関する論理的思索では,「精神」 と「科学」を結ぶ間主観的論議が求められてこよう。
遠城の「近代性」の変容をめぐって(P.67〜P.97)では,評者と同じカレジのハーベイ等の業績 を引用しつつ,時間・空間を社会的生産物として間主観的概念定義を行い,議論を明確にした上で 空間スケールと「社会的実践」の関連を論及している。社会的生産物として「空間」を把握するに は,要因が相互に構造的に関連する作用空間としての「場」と主体的に制御する区画空間としての 「所」の社会的意義を論及してゆくことが不可避である(拙論 工業配置論 1977)。ハーベイの前 任者ゴットマンは,この問題を移動の自由と収斂(しゅうれん)のイコン二側面から論及している (Territory 1973,「メガロポリィスを超えて」1993 Beyond Megalopolis 1994)。時間と空間に おける「共時化」に関しては,溝口が論議を深めている。これは,時空を超越した場所(Locus)の概 念(Ekistics 48, 1981)に言及して具体化していける素材だけに興味深い。
政治・経済,社会・文化の境界は,快適と孤立(毛利,P.145〜P.182)の文化社会的意味や領域と 秩序(豊永,角松, P.183〜P.254)の政治法学的意義,そして関税と規範(石田,P.255〜P.296)の国 際経済学的価値の議論に於いて一つの切り口を空間研究に与えている。
本論は,身近なキャナルシティーの実証的研究論争から永岡遺跡の歴史的空間論争(溝口,P.101〜 P.141)まで興味深い対象を含んでいる。それだけに,人間の倫理と自然の摂理に留意し,厚生・環 境産業に先導された現代産業革命期にあって,「住民と人類」に着目した「地域と地球」の間柄の 論議も今後人文科学の具体的「空間」研究を更に期待したい。
(九州大学出版会,1999年)文責:宮川 泰夫
(みやかわ やすお 比較社会文化研究科教授)