旧樺太演習林を訪ねて

附属演習林研究部


サハリン訪問の行程

 

 1999年9月6日(月)函館発,9月13日(月)函館着の7泊8日の行程で,サハリンの南端から北 緯50度まで,主に東海岸部を往復したことになる。
 以下に,行程の概略とトピックを述べる。


はるばる持参した博多人形を,サハリン州営林局のチュクルダイエフ局長に手渡す。(ユジノサハリンスク) 9月6日(月)
 函館空港からアエロフロート機に乗り,約2時間でユジノサハリンスク空港着。ホテル「サハリン サッポロ」宿泊。ユジノサハリンスクは人口20数万人で,現在都市集中化のため人口が増加しつつあ る。
 入国の際の税関への申告調査は厳しく,団員の一人が不正申告とみなされ罰金10ドルを徴収される。

9月7日(火)
 サハリン営林局訪問。チェクルダイエフ局長,コチェルニコフ副局長,ポポフ部長による行程の説 明並びにサハリン営林局管内の事業説明と質疑応答。
 全行程を局長にアレンジしていただいた。

9月8日(水)
 ユジノサハリンスク発の鉄道列車で,スミルヌフ(旧気屯)へ。途中ポロナイスク(旧敷香)で, 自転車旅行中に4人組強盗に金をとられたという日本人の若者と会う。スミルヌフまでの所要時間 11時間半。スミルヌフ営林署のビクトル・マキシモヴィッチ・コベルニコフ署長,ラマン主任林務官 の案内でゲストハウスに宿泊。この日は,列車に乗っている間,雨であった。
 スミルヌフは人口4〜5千人程度の町。列車は,日本の寝台車を再利用している。
 宿泊は,いわゆるホテルはなく,旧公務員宿舎の一室をゲストハウスとして利用したもの。スミ ルヌフ営林署のログハウスでの歓迎会では,パンの上に,バター5mm,その上にイクラ約20mmを乗せ たもの(最高のもてなしらしい)をウォッカのつまみとして食べる。これには,毎日悩ませられる。

9月9日(木)
 スミルヌフ営林署訪問。営林署の事業の説明と質疑応答のあと,ブユクリ(旧保恵・旧樺太演習 林作業所のあったところ)へ出発。ブユクリ担当区着(自動車で30分程度)。担当区主任イワン氏 とともに,旧樺太演習林跡地を調査。そのあと,付近のツンドラ地帯を視察,日ソ平和友好戦没者 記念碑と破壊されたトーチカを見学,スミルヌフの苗圃(約70ha,エゾマツとトドマツの苗木生産 現場)を見学のあと,旧日ソ激戦地記念碑で慰霊。
 営林署長から,孤児施設の技能訓練として製作させているエゾマツの木工品をみやげとして全員 にいただく。前日ポロナイスクで会った自転車旅行中の若者と同宿となり,再会を祝す。どうやら ここはスミルヌフ唯一の宿泊所らしい。

9月10日(金)
 スミルヌフから自動車でポロナイスクへ(所要時間1時間30分)。ポロナイスクは,人口2万数 千人で減少中。ポロナイスク営林署長ウラジーミル・スミルノフ氏の案内で旧演習林事務所跡を調査。 その後,市民に開放されている海岸林を見学。

日本時代の神社跡には,
子どもたちが遊びに来ていた。(マカロフ) 9月11日(土)
 閉鎖されている旧王子製紙工場を見学。ポロナイスクから自動車で20分程度で,ガステロ(旧内 路)着。日本人木造住居跡を見学,マカロフ(旧知取)で旧王子製紙工場跡(1992年閉鎖)や日本 時代の神社跡(石灯籠,鳥居跡)を見学。途中,海岸で昼食。海岸へ流れ込む小渓流の鮭の遡上に 感激する。しかし,密漁が横行しているらしく,イクラをとった残骸が多い。ドライブイン,レス トランなどはないので,昼食分を各自売店で購入。夕刻ユジノサハリンスクに帰着。ホテル「サハ リンサッポロ」宿泊。

サハリン州郷土博物
館の建物は,かつては樺太庁博物館のまま。(ユジノサハリンスク) 9月12日(日)
 日本時代当時のままの郷土博物館,美術館を見学のあと,コルサコフ(旧大泊)へ。日露戦争の 際の日本の遠征軍上陸記念碑見学。トゥナイチャ湖,イズメンチヴォイエ湖見学。コルサコフ営林 署のゲストハウスで,サハリン営林局チェクルダイエフ局長,コチェルニコフ副局長,ポポフ部長, コルサコフ営林署長,ルキアリンコ氏らと送別会。夜はユジノサハリンスクのホテルに宿泊。

9月13日(月)
 ユジノサハリンスク空港を出発,無事に函館空港に到着。