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概要

九大広報Vol.100

10)17)12)15%70%九州帝国大学時代の 留学生は総数730余名 九州大学(以下、本学)の戦後における留学生は1954(昭和29)年のタイ人留学生(農学部)を嚆矢として、1959(昭和34)年には総数で30名、1975(昭和50)年には100名を、1992(平成4)年には500名を、2004(平成16)年には1000名を超えて増加を続けてきた。そして現在では、92の地域・国から2097名の留学生が在学している*1。その内訳は、学部学生267名、大学院生1413名、研究生等417名と、大学院生が多数を占める。国別では上位3カ国は中国1059名、韓国259名、インドネシア117名と、アジア諸国からの留学生が多い(全体の約85%)。現在の留学生数を国立大学間で比較すれば、本学は東京大学、大阪大学に次いで3番目である(平成26年度現在)。 国際化の時代に相応しい現状ともいえるが、実は本学には戦前期の帝国大学(以下、帝大)時代にも数多くの留学生が存在していた。今回はこの帝大時代の留学生について概観する。ただし戦前期の個別大学史に即した留学生研究は少なく*2 、本学では戦前期の留学生についての共同研究を行い*3 、2004(平成16)年3月に折田悦郎編『九州帝国大学における留学生に関する基礎的研究』(以下、『報告書』)を刊行した。今回は同報告書によりながら、九州帝大の留学生について見てみることにしたい。 本学が帝大時代に受け入れた留学生の総数は730余名で、その第1号はまだ京都帝国大学福岡医科大学と呼ばれた時代の1910(明治43)年9月、医科大学に入学を許可され、1914(大正3)年12月に卒業した朝鮮平安南道出身の金台鎮であった。彼は入学直前にいわゆる「日韓併合」に遭遇し、大学での扱いは「准学生」という身分だった。正式な「学生」としての留学は、1913(大正2)年に入学した中華民国の戎肇敏(医大学文書館 教授折田 悦郎創刊100号記念特集④戦前の国際化?九州帝国大学時代の留学生受入れ?KyudaiHistory Stroll医学部の中国人専攻生(1935年頃)。於工学部キャンパス(麻生徹男氏撮影)。こうしKYUSHU UNIVERSITY Campus Magazine 2015.1021KYUSHU