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概要

九大広報Vol.100

学部医学科、浙江省)、呉萃蘭(同)、何肇中(工学部採鉱学科、広東省)の3名が最初である。女子を受け入れた医学部の対応 九州帝大に入学した留学生を年別に示したグラフをご覧いただきたい。これらによると留学生730余名の推移には、①1926(大正末・昭和初)年前後②1935(昭和 10)年前後③戦中期の1942(昭和 17)年前後の3つのヤマがあったことが知られる。①・②期は中華民国から、③期は朝鮮からの留学生が多い。ちなみに中華民国の場合①期は工学部への、②期では医学部と法文学部への留学生が多かった。また、戦前期を通じて留学生を最も多く送り出した国は、中華民国、次いで朝鮮、台湾、満洲、タイ・仏領インドシナ等のその他の順となっている。(グラフ2) 中華民国からの留学生が多いのは、同国が近隣の新興大国であったことと同時に、1923(大正 12)年3月の対支文化事業特別会計法に始まる外務省対支文化事業部による支那学生学資補給制度によるところが大きい。たとえば、1929(昭和4)年度には総計45名中、文化事業部特選給費生3名、同補給生 18名の中国人がいたことが知られている(『報告書』5?6頁)。 中華民国からは法文学部への留学が一番多いが、医学部、農学部、工学部と各学部にわたっている。これに対して朝鮮からは、法文学部の比率が65%、次の農学部が 15%と法文学部の比率の高さが目立ち、その法文学部の中でも法科の割合が 70%を超えている。朝鮮における法科志向の様子が見てとれるだろう。他方、台湾16)16)43)「中華民國留日九州帝國大學同窓會送別會」(1936年)。於工学部本館玄関前。中国人留学生は、1937(昭和12)年7月勃発の日中戦争によって相継いで帰国するので、この写真はそれ以前の九大留学生を写したものとして大変貴重である。創刊100号記念特集④1 0 0 3 2 5 2 4 6 6 5 7 7 7 19 34 40 23 18 25 16 31 25 26 57 78 61 37 14 26 34 26 44 37 7191001020304050607080901911 1912 1913 1914 1915 1916 1917 1918 1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941 1942 1943 1944人数年グラフ1 九州帝国大学留学生(入学者)数(年別)グラフ2 九州帝国大学留学生(入学者)国別グラフ3 九州帝国大学留学生(入学者)学部別グラフ4 九州帝国大学留学生(入学者)種別中国388人54%法文330人44%学生479人64%専攻生180人25%医146人20%朝鮮223人30%台湾83人 11%農131人 18%大学院生33人 5%工93人 13%医専27人 4%理6人 1%医専 生徒27人 4%生徒・その他14人 2%満州30人 4%その他9人 1%22 KYUSHU UNIVERSITY Campus Magazine 2015.10