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9Kyushu University Campus Magazine_2010.5は前田重治先生らにより学問として確立されたところとして知られていましたし、いきに感じてやってきたというわけです。―精神分析というのは、私たち専門外の者にとっては、なかなかわかりづらいというのが実感です。わかりやすく言えばどのようなものなのでしょうか。北山 人の心には、過去の出来事などに起因する「無意識の台本」があって、人はこの台本によって、状況や相手が変わってもついつい同じようなことを繰り返し演じてしまうということをしています。これが幸せを生んでいるんだったらそれでいいんですが、人によっては、そのことでいつも失敗していたり、逃げていたりで苦しんでいることがあるんですね。いつも周囲の期待に応えようとしてしまう苦労性だとか、いつも貧乏くじをひいてしまうとかいったことです。このような人たちが、この無意識の台本に気が付いたならば、ひょっとしたら変わることができるかもしれません。クライアントと話をしながら、心の無意識の台本を求めていくのが私たちの精神分析であり治療方法です。この際、気付いていないことに気付いてもらうために言葉が必要なんです。すなわち意識することが言葉によって可能になるわけです。「僕っていつも逃げてしまうんです」ということは言葉で意識しないと自覚できませんよね。だから私はいつも言葉を大切にしているんです。周辺領域の学問を受け入れる九大の包容力―福岡にいらっしゃって、関東や関西の人と九州の人との違いをお感じになりますか。北山 私にとっては、心の「裏表」は大きな関心事です。人は、日頃心の表の部分は意識していますが、裏の部分は隠しています。この部分が無意識になりやすいのです。表は格好つけて優等生であっても、情緒的なことに巻き込まれるとつい無意識にかっとなってしまう、本音が出てしまうといったことが起きるわけじゃないですか。このようなことを、意識と無意識、本音と建前といった二重構造として私たちは考えるわけです。福岡の方々は、この裏表がわかりやすいと言えばわかりやすいですね。裏表は誰にでもあります。でも、京都人は、これを研ぎ澄ましていますね。「表」ではお茶を出していますが、「裏」では「帰れ」というサインだという話は有名じゃないですか。福岡の人たちは、いい意味で単純。本音は弱いのに格好つけてるのを簡単に認めるので、わかりやすさがあると感じます。京都は裏表があるのを作法にまで高める土地柄。東京では本音を伏せて建前でやらなきゃいけない所。その点、福岡は人が裏表を持っていることを考えやすい土地だと思います。だからこそ、精神分析は九州大学になじんでいるのではないかと思います。―文明が発達し、物質的には豊かになった一方で、さらなる発展のために「競争」や「評価」が重視され、「効率」が強く求められるようになった近年、変化に適応できず心理的に追い込まれる人も多いようです。貧しかった時代と比べ、生きることに苦しむ人は増えているのでしょうか。北山 そういう質問もよく受けますが、私は変わらないような気がします。昔は昔で、恐竜と闘ったり、寒さに耐えたり、食べることに必死だったわけですよね。決して昔の方が近年の著書と北山先生『Prohibition of Don't Look』(岩崎学術出版社)、『幻滅論』『劇的な精神分析入門』(みすず書房)

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