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4Kyushu University Campus Magazine_2010.5自分自身で納得し、充実感が持てるような研究を行ってほしい。インタビューシリーズ・九大人 倉地 幸徳将来の夢は大学教授―倉地先生は、甘木市秋月のご出身と伺いました。倉地 山奥にある谷間の盆地で育ちました。子ども心にも、世間から離れた小さな宇宙のような場所だと感じていたものです(笑)。―秋月城があった場所ですし、今も城下町の名残りが色濃く漂っています。情緒のある静かなところですね。倉地 私はその秋月城址の敷地に建っている秋月中学校に通いました。「九大広報67号」の若田光一さんの記事の中にあった「夢の力」を見て思い出したのが、中学一年生の時、担任の先生から将来の夢を書くようにと告げられた時のことです。田舎のことなので、バスやトラックの運転手になりたいという同級生もいた中で、当時下関にあった水産系の学校に通っていた兄が、先生のことを誇らしげに「教授」と呼んでいたのがとても印象的だったこともあって、なんと「大学教授」と書いてしまったのです。ところが、翌日登校して仰天したのは、こともあろうに先生が、教室の壁に全員の夢を貼り出していたのです。私は皆に「倉地が大学教授げな」と散々からかわれました。願い事は胸に秘めておくもので、口に出したとたん、おまじないの効果が消えてしまうともいうじゃないですか。相当後悔したことを覚えています。―けれども、結果的には有言実行でしたね。倉地 夢や願い事は潜在意識になるのかもしれません。学部を卒業する時に就職は考えず、修士課程、博士課程に進んだのは自分の中では自然な流れでした。―在学中に印象に残っていることはどのようなことでしょうか。倉地 講義の内容なんかはすっかり忘れてしまいましたが、今でも記憶に残っているのは、毎週行われていた実験とジャーナル報告会です。私たち後輩は先輩の発表を聞いて覚えたのですが、研究をいろいろな角度から見ることができて、知識の底辺を広げることの重要性を学ぶことができました。底辺を広げることは、独創的な研究をするためには必要なことです。自分がフォーカスしているものだけではなく、その周辺も広く見ていくことで、重要なもの、面白いもの、欠落しているものが浮かび上がり、全体像が掴めるようになってきます。―ご専門はバイオですね。倉地 バイオの中でも、私は、生化学の中の蛋白質化学やX線結晶構造学などの研究を行っていたのですが、80年初頭に分子遺伝学や分子生物学といった新しい分野の新しい学問の波が出てくるとともにそこに飛び込んで行きました。居ても立っても居られなかったというのがその時の心境です。今思えば、結構新しい波の先端にいましたし、近年では新しい分野の開拓もしてきました。最近その分野に、欧州や英国の研究者が参入し始めており、研究者冥利に尽きる思いがあります。―ワシントン大学、ハーバード大学、ミシガン大学など米国のメジャーな大学に在籍されていますが、そもそも渡米という道を選択されたきっかけは何だったのでしょうか。倉地 当時農芸化学の船津 勝先生の研究室では、ポスドクで2、3年外国

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