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8Kyushu University Campus Magazine_2010.5心の専門家のことをもっと社会の皆さんに知ってほしい。インタビューシリーズ・九大人 北山 修心を言葉でとらえるということ―北山先生が初期の「ザ・フォーク・クルセダーズ」で華やかに活動されたのは、約3年ですね。その後は医師としての道を歩まれましたが、音楽への未練はなかったのでしょうか。北山 音楽は、私にとってはとても大切なものです。けれどもそれは皆さんの趣味と同じようなものかもしれません。それが学生時代のある時に突然ブレイクしてしまったものですから、私をプロと思っている人がいますけど、音楽はあくまでも私の人生の一部分なんですね。学生時代のブレイクが、コツコツ努力して出た成果への評価だったら、ひょっとすると音楽を続けたかもしれません。けれども、趣味が高じて商売になってしまったようなものでしたから、私自身そんな状況を受け入れることができなかったんですね。―趣味とはいっても、私たちが魚釣りをするといったようなレベルとは全然違いますよね。北山 バンドをやめてからも作詞は続けていて、私が作った曲で日本著作権協会に登録されているものは350曲くらいあるらしいんですね。けれどもやはり作詞は私の本来の仕事ではないんです。月曜から土曜までは、専門である精神分析の仕事をして、作詞をするのはせいぜい日曜日です。だから、今の私はサンデー・ミュージシャンなわけですよ。だけどなぜかこの部分だけがクローズアップされてしまうんですね。私としては専門の話を聞いてもらえないのはある意味寂しいですよ。―医学の中でも、精神医学を専門にされたのはどうしてでしょうか。北山 それは歌をやっていたことと無縁ではないと思いますよ。作詞をやっていて、自分は人の気持ちを言葉でつかまえるのが上手なんじゃないかと思ったわけですね。精神医学においては、人の心を表現するのに言葉が重要な役目を果たします。また、精神分析においても言葉はとても大切にします。私の得意なことが活かせるんじゃないかと思ってこの道に進んだんですね。―その後、精神科の開業医としてご活躍なさっていたわけですが、大学教員として九大の教育学部にいらっしゃることになったいきさつはどんなことだったのでしょうか。北山 当時は開業医として精神分析を実践しつつ、学会などでその成果を発表していました。その頃も今でも、精神分析学は大学ではそんなに行われている学問ではありませんが、そのうち心の時代と言われるようになって、大学でも、文系の教育学部などで臨床心理学の研究者や専門家を養成しようという動きが起こってきました。そんな中で、私にもあちこちの大学から声がかかるようになったんです。私自身も人に教えてみたいという気持ちが芽生えてきていて、しかも若い人に出会うことができるのであれば、それは楽しいだろうなと思ったんですね。そんな中で教育学部の村山正治先生が声をかけてくれましてね。九州大学は、精神分析学については古くから伝統があって、日本において

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