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9Kyushu University Campus Magazine_2010.7行きました。若い時期に、開発から売るところまで経験できたのは、希有なことだったと思います。でも、周囲は鉄鋼協会で発表する論文の話などをしていて、そういう話題に全く入っていけなくて、寂しい思いもしました。―平成7年の阪神・淡路大震災を体験されたとお聞きしましたが、復興にあたっては大変なご苦労があったのではないでしょうか。佐藤 あの日、自宅マンションで休んでいたところ、朝方、とても大きな揺れがおきまして、身体がポンと持ち上がったんです。同じ部屋にいた家内に怪我があってはいけないと思って、落ちてくるものから必死にかばいました。今でも家内にそのことを言うんですが、家内はそんなことはなかったっていうんですね(笑)。けど、とにかくドアも歪んで開きませんし、なんとか外に出ることはできたものの、まだ中に閉じ込められている人がいるというので、救出に行きました。周囲が少し落ちついてから会社に行きましたが、製鉄所は壊れているし、研究所も本社も倒壊しているし、本当に悲しかったです。会社は一週間出勤停止にしました。その間、部下たちの多くは、被害が大きかった長田などでボランティアをしたそうです。それを聞いて私は、部下をとても誇りに思いました。これなら必ず会社を復興できると確信しました。加古川や神戸の製鉄所の復興でも、何千人という人が不眠不休で働いてくれました。とても悲惨な経験でしたが、あれほど勇気づけられた経験もありません。九州大学の方からも支援のお手紙を頂いたんですが、「物は失ったけど心は失っていません」と書いたのを覚えています。原理原則にかなっているものが長続きする―チタンなどの新しい材料を売り出したり、最近ではITmk3(アイティーマークスリー:神戸製鋼所が独自に開発した次世代製鉄法)を、世界に先駆けて実用化されたりしていますが、新しいことに挑戦されるときはどんな心持ちで取り組んでいらっしゃいますか。また、不安はありませんか。佐藤 不安よりまず、おもしろそうだと思う気持ちが先にきますね。販売や生産は、嫌でも、社命でもってある程度はやらせることはできますが、研究分野ではそうはいきません。自分の好きなこと、やりたいことをやってもらうことが第一です。会社も、一定の期間と予算を与えたら、研究者がデータを持ってくるまで待つことが大事です。ITmk3は1993年に現象を見つけて、それから17年、絶滅に陥りそうなものを大切に育ててきました。このような研究姿勢は当社の遺伝子かもしれませんね。―「社長になってやろう」と思って頑張られたことはありますか。佐藤 いやいやそんなことはまったくありません。出世してやろうなんて思ってもいませんでしたね。ただ、自分が身に付けた専門知識や得意な技能は認めてほしいという気持ちはいつも持っていました。けれども少しずつ管理的な立場につくようになって心掛けるようになったのは、ヒューマン・スキルを養うことです。例えばそれまでは、部下に対して怒鳴ったりすることもあったんですが、そんなことじゃいけないと思い直して、「腹が立っても5秒待つ」ことを心掛けました。ワンテンポおいたら、冷静に話ができるかもしれないじゃないですか。部下がかわいいから怒鳴るんだという人もいますが、気持ちの半分は自分自身の感情を抑えきれていないんですから。―技術系出身の方が社長であることのメリットはどんなことでしょうか。佐藤 研究を考えてみてください。ある現象について、それを解明しよ

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