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8Kyushu University Campus Magazine_2010.7学生時代は、好きなこと、やりたいことを見いだす時期そのための時間と自由度が与えられている期間インタビューシリーズ・九大人 佐藤 廣士 新素材、チタンに取り組む―工学部、そして工学研究科のご出身と伺いました。どのような学生生活を送られましたか。佐藤 私が大学に入学したのが昭和39年です。ちょうど東京オリンピックの年で、まだ世の中がそんなに裕福じゃなかった時代です。田島寮に入ったんですが、当時、月の寮費が300円、朝食が15円、昼食が45円、夕食が60円でしたから、一日120円で生活できました。当時の教養部の授業は、高校の延長のような感じで少しもの足りなかったんですが、箱崎に行って専門の授業が始まってからは、これはおもしろいと思いました。四年生の頃は、人生で一番勉強したと言えるかもしれません。修士では実験をよくやりましたね。当時はコンピュータがなかったので、シミュレーションなんかはできませんでしたから、実験でたくさんデータを出して、現象を確かめるというのが研究のやり方でした。朝から晩まで実験していた気がします。―表面処理(材料の表面を硬化・美化・耐食化するなど、その状態を改善するための処理)の研究は、いつ頃から始められたのですか。佐藤 学部の四年生の時からです。三年生の時に、神戸製鋼所の長府工場に学生見学に行ったんです。そこはアルミの工場で、鉛筆に被せるアルミのキャップを製造していました。いろんな色のキャップが並んでいるのを見ておもしろいと思いましてね。四年生になって表面処理の研究室を希望したら、先生が20年ぶりの第一志望だと喜んでくれました。この分野はあまり人気がないのかなとがっかりもしましたけどね。21歳から表面処理を始めて、大学院、そして会社では46歳まで携わっていましたから、結果的に20数年やったことになりますね。―神戸製鋼所に入社されたのは、工場見学がきっかけだったのですか。佐藤 いえ、非鉄の企業に行くか、ドクターコースに進むか迷っているうちに、就職活動の時期を逸してしまったんです。民間に行くと決めた後、どこか面接してくれる会社はないかと探していたら、神戸製鋼所が面接してくれることになりました。神戸製鋼所は、アルミや銅の非鉄もやっていましたから。非鉄をやるつもりで鉄鋼会社を選ぶというのも変な話ですけどね。―神戸製鋼所に入社後は、チタンを研究されていたとお聞きしました。佐藤 入社した頃は鉄鋼材料の耐候性鋼というものがはやっていたんです。これをやるか、チタンという新しい金属をやるかって聞かれたんですけど、悩まずチタンをやらせてほしいと言いました。非鉄だからというよりも、今までやったことがない新しい素材に興味があったんです。―新素材だったチタンの研究は、ご苦労も多かったのではないですか。佐藤 研究所にいましたら、研究して、学会で発表して、論文を書くことが一つの成果になります。でも、会社だから研究開発したことを実用化して販売できればそれも成果になります。新しい金属を研究していた私にとっては、メカニズムを解明するよりも、用途を見つけて広げるということの方が大きな使命でした。開発したら工場に持って行って、生産するための知恵を絞り、生産できそうになったら、営業と一緒に技術説明に行く。海外にも営業に材料研究所 表面制御研究室長時代 (1990年頃)

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