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10Kyushu University Campus Magazine_2011.3江戸を江戸の人の目で見る。そのためには「和本」を読むこと。それが真の江戸理解につながる。 インタビューシリーズ・九大人 中野 三敏現代と江戸の違うところに、学ぶべきものがある。ーー早稲田大学のご出身と伺いました。早稲田の文学部を志されたのはどうしてでしょうか。中野 深い考えがあったわけではありません。先々は小説でも書きたいなと思ったんです。当時、早稲田を中退して小説家になるという一つのおまじないみたいなものがありましてね。変な話ですが、早稲田には中退するつもりで入学したんですよ(笑)。自分の中では、『中央公論』の新人賞に入賞して小説家になるというストーリーを勝手に思い描いていたんです。でも、賞をとったのは、深沢七郎氏の『楢山節考』。読んでみるとレベルが全く違いました。これは太刀打ちできないと思って、大学院にでも行って、他にやりたいことを見つけようと思いました。ーー近世文学に興味を持たれたきっかけはどんなことだったのでしょうか。中野 好きな作家が永井荷風や泉鏡花だったので、自然に興味が江戸へ向きましたね。大学の卒業論文を書く頃には、近世がおもしろいなと思うようになっていました。そのうち、やっぱり一番おもしろいのは、小説ではなくて人間そのものじゃないかと思うようになったんです。もちろん現代の人間ではなくて江戸の人間。それも作品の中の人間ではなくて、作家自身の人間性ですね。書いた人自身のことを調べようと思っても、江戸より前になると資料がありません。けれども、江戸時代は調べる材料が山ほどあります。ーー九大にいらっしゃる前は、短大や高校に教員として勤務されています。私もこの四月から高校の教員になります。先生のご経験からご助言をいただけませんか。中野 高校の教員といっても、当時と今はシステムや環境が全く違います。参考になるような話はできませんよ。その頃は、早稲田の大学院を出ても、大学の教員として残れるような時代ではありませんでした。皆高校や短大の先生になっていきましたね。当時勤務していた東京の高校は進学校ではなかったので、のんびりしたものでした。家に帰る途中に国会図書館があったこともあって、夕方5時に学校が終わってからは、図書館が閉まる8時まで、毎日のように国会図書館で和本を読みました。本にどっぷりと浸ることができた2年間でした。その頃から、江戸の中でも、中期がおもしろいなと思うようになっていました。当時、江戸の文学と言えば、前期の井原西鶴や松尾芭蕉、もしくは後期の滝沢馬琴や式亭三馬あたりが主流で、中期は谷底みたいな時代だと思われていましたしね。ーー九州大学にいらしたのは、どのような経緯からでしょうか。中野 洒落本の研究を進めるうちに、九州大学の教授でいらした中村幸彦先生と出会いました。中村先生が九州大学を退官される時、その後任として今井源衛先生が私を呼んでくださいました。それまで九州大学

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