http://www.kyushu-u.ac.jp-kyudaikoho_74
12/40

11Kyushu University Campus Magazine_2011.3とは無縁でしたし、今井先生とも面識がなかったので驚きましたよ。今井先生も私を採用するのにご苦労があったようでした。それには今でも感謝しています。ーー江戸の人たちを見てこられて、学ぶべきだと思われるところはどんなことでしょうか。中野 まず、戦後の古典研究の問題は、近代の側から見て、わかりやすいところや近代と通じているところばかりを評価しようとしたことです。例えば西鶴のリアリズムだとか近松のヒューマニズムとかです。そうじゃない部分は、一切評価しようとしませんでした。私は本当にそれでいいのかなと思っていました。ですから、これからの古典研究は、現代と違うところをきちんと見て、評価すべきところは評価する姿勢が必要です。特に、近代主義というものに大きな疑問符がつきはじめた今、それを乗り越える何かを過去に求めるのであれば、現代と違う部分を見なければ意味がないでしょう。私たちの時代は、「近代的」と言えば褒め言葉でしかありませんでした。近代は輝かしい時代であって、その前の近世文学の研究は、世間の注目の対象ではありませんでした。けれども最近では、本当に近代が輝かしい時代だったのか疑問に思う人も増えています。そういうこともあって、近代が敢えて否定した時代、江戸がどんな時代だったのかを研究する意義が高まってきているんだと思うんです。ーーそういったことが文化功労者としての評価にもつながったのでしょうか。中野 社会が変わったんですよ。それまでは、近代から見て、その前の時代、江戸は否定の対象でした。坂本龍馬が「これからが日本の夜明けだ」と言うのを、今でも「そうだ、そうだ」と思う人は多いでしょう。とすると、それまでは真夜中だったということですよね。明治以来、つい最近まで、一般の人たちもそんな感覚だったと思いますし、研究者もそんなもんだと思っていました。論文も、自分が本当に評価して貰いたい三人ほどの人に認められればよいと言われていましたからね。でも、最近では、エコロジーや地方分権など、明らかに江戸時代の方が今より優れていたかもしれないところが見直されてきています。そんな中で、江戸の中にも学ぶべきものがあるかもしれないと考えられるようになってきて、私はたまたま、その社会の流れに合ったのかもしれません。これから江戸を研究する人たちは、世間からいろいろなことを求められるようになるでしょう、ある意味大変だと思います。先人の考えに触れるためにも、是非和本リテラシーの回復をーー先生は、「和本リテラシー」の回復も提唱されています。私たちも、指導教員の川平先生のもと、「くずし字道場」に取り組んでいます。中野 今、多くの人が江戸のことを知りたがっています。けれども、明治33年に今の活字体に統一される前の文字は、出版物も手書きの書物も全部くずし字でした。明治33年より前の書物に遡るには、このくずし字を読めなければなりません。けれども、今ではほとんどの人がこれを読めなくなっているんです。大学文化功労者顕彰式後、福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長と(右は奥様)

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です