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12Kyushu University Campus Magazine_2011.3の教員でも、くずし字が読めるのは、江戸を対象に研究している限られた人たちだけでしょう。江戸のことを知りたいと思っても、肝心の文字が読めなかったら調べようがありません。それに、私の推定では、変体仮名や草書体で書かれている本は150万点ほど存在すると思うのですが、そのうち活字になっているのは1万点未満。1%もないんです。せっかく良いことが書かれていても、読むことができなければ意味がありません。こんなにもったいないことはありません。和本リテラシーが身に付けば、これらを自分で読むことができます。ですから、和本リテラシーの回復にはとても重要な意味がありますし、せめて日本の知識社会全体の和本リテラシーを回復することが私たちに課せられた役割だと思っているんです。回復はそんなに難しいことではありません。私の父親の世代までは普通に読んでいたのですから。簡単なテキストさえあれば、外国語を修得する20分の1程度の努力で回復できるんです。ーーそれで、昨年『くずし字で「百人一首」を楽しむ』という本を出版されたんですね。中野 これまでは、一般向けのわかりやすいテキストが無かったんですね。ですから、大勢の人が親しみやすく、自習できるテキストを作りたいと思っていたんです。百人一首だったら、覚えている人も多いでしょう。だから、どの字がどの音になるのかわかりやすい。わからない箇所は飛ばせばいいんです。最後まで読み通せば、ある程度読めるようになっていますから。『百人一首』は初級篇のテキストのつもりで作りました。中級は『東海道中膝栗毛』、上級は『奥の細道』を考えています。日本人は、外国語は一生懸命マスターしようとします。もちろん、それは必要なことだと思いますが、外国語は空間軸、つまり横軸だと思うんでインタビューシリーズ・九大人 中野 三敏す。要するに、外国の人の意見を吸収するために必要な言語。しかし、縦軸、つまり時間軸も考えなければいけません。江戸や中世、平安といった時代に生きた人の考えに触れるには、やはりその時代の文字のリテラシーがないとどうにもならないんです。アメリカでは18世紀の独立宣言でも、読むだけなら小学生だってできます。ところが、日本は、明治4~5年の原書を大人ですら読めません。明治までも遡れないというのはちょっと異常でしょう。149万点もの書物が眠ったままです。リテラシーさえあれば、宝の山になるというのに。ーー最後に、九州大学で学んでいる学生にメッセージをお願いします。中野 九州大学で学ぶのであれば、国文の学生だけでなく、他の学部の学生にも、和本リテラシーを持ってほしいですね。西洋のことばかり勉強して、日本の学問を西洋モデルにあてはめるばかりではなく、日本モデルの学問を自信を持って研究する人が、もっともっと出てきてもいいと思うんです。江戸時代の300年は、それ以前から続いてきた日本文化を完全に成熟させることができた時期です。そして、日本モデルの良い文化がたくさんありました。それらをまず理解することが大切だったのに、残念なことに、近代ではそれを否定してしまいました。そこが日本の最大の弱点です。そういう意味で、これまでの近代は、まだ青年期だと思います。もう一度、江戸時代を見直そうという動きが出てきた今こそ、近代の成熟期の出発点となるのではないでしょうか。近代主義という片目だけで見ても、物事は立体的に見えません。片方は近代の目で、もう一方の目は江戸人の目でものを見てみること。それが成熟した近代を築いていく最良の道だと思います。中野名誉教授 著「くずし字で『百人一首』を楽しむ」(角川学芸出版)

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