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4Kyushu University Campus Magazine_2011.5視聴者の皆さんに元気を与えられるような放送をするこれがプロの仕事インタビューシリーズ・九大人 龍山 康朗 航空工学を勉強しながら アナウンサーの道へーー九州大学では航空工学を勉強されていますが、なぜ専門とは違うアナウンサーの道を選ばれたのですか。龍山 大学時代に落語研究会に入っていましたので、その影響は大きかったと思います。高校時代は、スポーツ好きではなく、明るい方でもなかったので、女の子にもモテませんでした(笑)。それで大学に入ったのをきっかけに、そんな自分を変えたいと思って落語研究会に入ったんです。学部卒業後は、航空工学を極めたいと思って大学院に進学したんですが、修士一年の時、福岡での「とびうめ国体」開催に向けて、アマチュアアナウンサーの募集があったんです。これが転機でしたね。アナウンサーも落語も、しゃべるという点では同じだと思って、やってみたいなと応募したところ、一次、二次試験は楽勝。これなら受かるだろうと思っていたら、最終試験で落ちてしまいました。後でわかったのですが、最終試験に残った人たちは、皆アナウンススクールなどでしっかり勉強している人たちばかりだったんです。思いつきで応募した私なんかが受かるはずがないですよね。けれども悔しくて、それで基礎からアナウンスの勉強をしたいと思って、アナウンススクールに通い始めました。ーーでは、就職活動の時はアナウンサーになろうと決めていらしたのですか。龍山 アナウンススクールに通ううちに、人にものごとを伝えるということの素晴らしさを感じるようになりました。けれども、航空工学の勉強も一生懸命やっていましたし、どちらの道に進むべきか真剣に迷いました。そこで、あえて自分自身に高い目標を課したんです。日本航空に入れなければ航空工学の道はあきらめようと。当時、航空会社といえば日本航空でした。ちょうどその時期、親しかった若田光一さんが日本航空に勤務されていたこともありました。ところがその年、日本航空への大学からの推薦枠は一つしかなかったんです。志望する学生が私以外にもう一人いて、主任教授は2人で話し合えと言うんですが、話し合いがつくはずがありません(笑)。結局、クジ引きで決めることになり、私が外れてしまいました。インターネットで私を調べると、「日本航空の内定を辞退してアナウンサーになった」と書いてあるところがあります。周りからも「何で日航に行かなかったんだ。不思議なやつだなあ」とよく言われたもんです。けど本当は違うんです。内定を断ったんじゃなくて、日航には推薦してもらえなかったんです。実はその時、教授から他の航空会社を勧められたんですよ。そのときは迷いました。でも、最初の決心を貫こうと思い、その場でお断りしました。もしあの時、当たりクジを引いていたら今の私はないですね(笑)。学会の発表で訪れた信州大学の前で若田光一さんと

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