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関係します。そこが他の仕事とはちょっと違うところでしょうか。私は九州大学で学んだことで、自分の拠点は九州・福岡にあるという自覚を持てるようになりました。もし九州大学ではなく他の地域の大学で学んでいたら、これほど地域のために何かしたいとは思わなかったかもしれませんし、今のようなネットワークもできなかったと思います。ーニューヨークの大学院にも留学されていますが、大変だったことやよかったと思われることはどんなことでしょうか。松岡 ニューヨークには、ここで一旗揚げようという人たちが世界中から集まってきます。競争も厳しいし、最初は泣きそうになることばかりでした。でも結果として、ニューヨークという過酷な場所で学んだことは良かったと思いますし、そこで生き延びたことは自信になりました。留建築は土地に根ざすもの私の拠点は福岡にあるー建築家として幅広く活躍されていますが、いつ頃から建築家を目指していらっしゃったんでしょうか。松岡 中学生の頃は弁護士になろうかと思っていました。まだ女性の社会進出が難しい時代だったので、働くなら資格があった方がいいと思ったんです。それで父に相談すると、「弁護士は立派な仕事だけれど、何か問題が起きなければ仕事が発生しない。他人の問題に関わって生きるより、何かを生み出すクリエイティブな仕事の方が向いているんじゃないか」と言われて、その言葉に納得して、弁護士を目指すのはやめました。それで九州大学の建築学科に進みましたが、最初から建築家になろうと思っていたわけではありません。建築をやっていこうと真剣に思ったのは、コロンビア大学の大学院を終えた頃でしたね。ー 九州大学で学んだことで、今の仕事に役立っていると思われることはありますか。松岡 建築という仕事は土地に根ざすもので、必ずどこかの場所に深く聞き手宇都宮 明翔(うつのみや あすか)九州大学工学部建築学科4年学を終える頃には、「明日から秘境の地に行けと言われても行ける」と思えたくらいです(笑)。私が学んだコースでは学生の半分は外国人でした。言葉も文化も異なる中で建築を学び議論し、刺激し合ったことは貴重な体験でした。今でも世界に散らばった同窓生と繋がっています。 ー台湾でもお仕事をされていますね。松岡 縁あって仕事をすることになったのですが、中国語が全くわからないのに語学学校に通う時間もなく、ニューヨークに続いて台湾でもサバイバルゲームのような生活でした。さらに台湾とニューヨークでは文化が異なり、考えさせられること、勉強になることが多かったですね。建築の仕事は、その都度、新たな環境に飛び込んでいきます。場所も関わる人も変わりますから、まず相手の領域に飛び込んでいって相手のことを学ばなければなりません。建築だけでなくいろいろな領域に飛び込み学びながら形を作っていく私の仕事のやり方は、こんなところに原点があるのかもしれません。世の中に建築が関与しない分野はない14 Kyushu University Campus Magazine_2012.5

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