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ということまで考える。これが建築家が関わることの意味だと思います。スタンダードなものを作るのであれば、私のようなものが関わる必要はありませんよね。私は特殊解を否定はしませんが、ただ、土木でも建築でも、たまたまクライアントが気に入ったからできたというような「特殊解」では社会に対して普及力がないし、私はあまり興味がありません。場所は違っても、結果できた「かたち」だけでなくその方法論をマネしてもらえるような仕事をしたいと思っています。ーここ数年は、東京の大学で教鞭をとられたり、学生と一緒に福岡の近・現代建築を一般の人に紹介するツアーイベント『MAT fukuoka』を開催したりされていますが、人材の育成についてはどうお考えですか。松岡 非常勤としては国内外の様々な大学でデザインを教えてきましたが、常勤として大学で教えることになったのは、たまたま大学からお誘いがあったからです。しかし取り組んでみると、自分は教育に向いているなと思うようになりました。東京の大学では2年目から研究室を持つようになりーそれでもいろいろな領域の仕事に取り組むのは、ご苦労も多いのではないでしょうか。松岡 例えば、私の仕事の一つに新北九州空港連絡橋がありますが、これは土木の領域です。土木は100%公共事業。また場合によっては、地域住人まで巻き込むこともありますから、客観性が求められます。もともと土木にはスタンダードな設計というものがあり、それを逸脱するのであれば、なぜそうするべきなのかを徹底的に説明できなければなりません。一方建築の場合、私のクライアントは民間企業である場合が多く、クライアントである企業の要望を実現し、かつ設計者も納得する「特殊解」へと絞り込んでいくことができます。だから、コミュニケーションの方法もデザインのプロセスも違うのです。土木にはスタンダードな設計があると話しましたが、建築家である私が関わらせていただく以上は、人に愛され、長く使ってもらえる、さらに価値あるものを提案しなければなりません。例えば公園のデザインの場合、公園そのものだけでなくその周辺とどう関わっていくのか、どのように周辺住民や市民を巻き込んでいくとよいのか、さらにその場所が豊かになることでその市町村全体にどのような影響を与え得るのかーそういったところが、建築にとどまらず、インテリア、アーバンデザイン、土木など幅広い領域を手がけられていることにつながるのですね。本当にすごいと思います。松岡 西洋建築史を辿ると、ヨーロッパの建築家は、建物を建てるだけでなく、広場を作ったり、都市を計画したり、彫刻を手がけたり、いろいろなことをやってきました。本来建築とは、単に建物のみを指しているのではなくて、もっと広い概念です。文化、歴史、技術、文筆などいろいろなものを含んでいます。でも、社会の流れの中で専門分野が細分化され、また建設の需要から、「建築家は建物を建てる人」と狭く定義されてしまったように思います。本来建築がカバーする領域はとても広く、世の中に建築が関与しない分野はないほどです。だから、仕事の領域にこだわることはないと思います。特にこれからの時代、労働人口が減少することを考えれば、皆が「私は自分の専門のことだけ」と言っていたら成り立ちません。一人一人がいろいろな視点や能力を持つことがますます大切になると思いますし、専門に閉じないでいろいろな人たちと組んで仕事をしていくのがこれからの時代の主流になっていくと思います。福岡の人々に建築の魅力を知ってほしいKyushu University Campus Magazine_2012.5 15

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