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南里 先生が、このような研究分野に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょう。飯嶋 私は1969年生まれで、ストレートに進学していたら、バブルが崩壊する前に就職できた世代なんです。でも私は2年浪人して、その後、栗本慎一郎氏が開く私塾に通ったりしていたので、大学に入学したときには、バブルが崩壊していました。その年、大学内の学生たちの表情が一様に暗くなったのを覚えています。さらに、父親がリストラに遭ってしまって、そうした人々を見ているうちに、給料に依存している人たちの弱さを痛感することになったのです。日本社会のバブル前とバブル後の落差はあまりに大きかった。だから、お金に依存しないで生きられる人たちが、どんな生き方をしているのか研究してみたくなったのです。南里 どのような人たちを研究対象とされたのですか。飯嶋 まず、ホームレスの研究をしました。でも、ホームレスは、主に空き缶を収集し廃品業者に売ることで生計を立てていたので、実際には、お金に依存せずに生きようとしている人たちではありませんでした。その後、オーストラリアの先住民アランタ民族を、1年半ほど断続的に参与観察しました。彼らは、1960年後半になるまで、人権も認められていませんでした。しかし、人権が認められると、オーストラリア政府は彼らを失業者として見なすようになります。その結果、彼らにも失業年金が入るようになりました。でも、彼らは基本的なサバイバルテクニックは持っているから、お金がなくても基本的な暮らしはたてられる。そこにお金が入ってきたものだから、一部の人は昼間から酒を飲む、アルコール依存症になってしまう人もいたのです。このような状況を学ぶうちに、「人がいかに危機を乗り越えるのか」「福祉社会における社会問題」「共苦から共生へ」といったテーマの研究をするようになりました。南里 学生は、具体的にどのようなステップで学んでいくのですか。飯嶋 院生に関して言えば、4年サイクルで完結できるように考えています。これまでの社会科学は、一旦自分の住んでいる世界とは切り離して対象社会だけを描く方法がとられてきました。しかし、現在、そんな状況はほとんど成立しません。そのことを理解してもらうために、世界社会論を学んでもらいます。これを学ぶと、現在フィールドで起きている問題が、自分の生活に地続きであることを理解できるようになります。それから、時にはフィールドでの問題にどうやって介入していくか、臨床やフィールドワークの技法飯嶋 九州大学に赴任したときに、身近なフィールドも知る必要があると思い、ハンセン病元患者施設や水俣病などの研究も進めてきました。ただ、研究を進めるうちに、事件を巡って、こちらが被害者であちらが加害者といった単純な構図では言い表せない複雑な状況の苦しみも存在することを知りました。被害者側だけでなく加害者側も別の形で苦しんでいることもあるのです。そういう状況では、共に苦しむ、つまり「共苦」を前提にしたところでの学びでなければ意味がない。そう気づいて作った造語が「共苦学」で、「共生」を実現させる前提にはこの「共苦」の学びがあるわけです。Kyushu University Campus Magazine_2012.5 19バブル崩壊で見たお金に依存する人間の弱さ。フィールドで起きている問題を自らの問題と捉える。オーストラリアの先住民 アランタ民族

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