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サンクトペテルブルグ大学日本学術振興会特別研究員(DC2)比較社会文化学府博士後期課程 西山美久(にしやま よしひさ)留学先大学九大生が案内する世界のキャンパス交換留学について詳しく知りたい方は、「九大生のための海外留学情報」(http://www.isc.kyushu-u.ac.jp/intlweb/study/)をご覧ください。過去の交換留学生による報告書も大学毎にたくさん掲載しています。(ロシア) ロシアでも有数の高等教育機関であるサンクトペテルブルグ大学への留学を決意し、期待に胸を弾ませながらロシアへ向かったものの、現地到着直後に早速問題が生じました。空港に迎えに来ているはずの学生の姿がなく、自力で寮まで行く羽目になったのです。バス、地下鉄を乗り継いでなんとか辿り着きましたが、時間は深夜1時を過ぎていました。翌日も各種手続きに時間を取られ、苦労したことを覚えています。 とはいうものの、煩雑な手続きを終えた後はロシア語のレッスンや専門科目が始まり、知識の習得に励みました。ロシア語のレッスンでは、ベルギーやスロヴァキアからの留学生らと共に学びましたが、とにかく担当の先生が厳しく互いに励まし合いながらロシア語能力の向上に努めました。また、専門科目はスモーリヌィにある社会学部で、社会学やロシアの若者のサブカルチャーなどについて学びました。 授業は学生の自主性に任されているため、時間がある時には、ネフスキー大通りを散歩したり、教会など見学したりしました。「北のヴェニス」と呼ばれるだけあって、街並みはとても美しく、ロシアにいながらヨーロッパの雰囲気を味わうことができます。 週末には、各国の留学生らとお酒(ウォッカ、バルチカ)を飲んだり、ロシア政治について議論したりしながら、親睦を深めていきました。学期の終わりには、友人らと共にクロンシュタットやペテルゴフ等の観光地や首都モスクワを訪れ、ペテルブルグとは異なる雰囲気を味わいました。 サンクトペテルブルグはモスクワに次ぐ大都市であり、北の首都とも呼ばれている。かつてピョートル大帝によってロシア帝国の首都にされ、「西欧への窓口」とされた。第一次大戦期にはペトログラード、ソヴィエト期にはレニングラードと改称され、ソ連崩壊後に現在の名称に戻された。 サンクトペテルブルグ大学は1724年、ピョートル大帝の命によって帝国科学アカデミー(現・科学アカデミー)と同時に設立、1819年に同アカデミーから分離され、独立の大学となった。 現在22の学部があり、学生数は約2万5千人。世界各国から多くの留学生を受け入れ、国際交流を積極的に行っており、英語での講義もなされている。モスクワ国立大学に並ぶ名門大学とされ、これまでに多くの人材を輩出してきた(プーチン大統領、メドヴェージェフ首相など)。また東洋学部日本学科は、ロシアにおける日本研究・教育の発祥の地であり、その歴史は非常に長い。大学の特色スモーリヌィにある社会学部モスクワの赤の広場にある聖ワシリー聖堂綺麗にライトアップされたネフスキー大通りスモーリヌィ聖堂。エカテリーナ2世の命により建てられた貴族の令嬢たちの女学校世界三大美術館の1つであるエルミタージュ美術館Kyushu University Campus Magazine_2012.5 29

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