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Kyushu University Campus Magazine_2012.11 5があったことや、夢二が九州を旅していたことがわかってきました。そして、夢二が旅した福岡や唐津など、九州各地の足どりを追いながら、九州にゆかりのある人物たちと夢二との交流も調べていったのです。ーその安達さんの研究は、「夢二の旅」シリーズとして本にまとめられていますね。今年9月に4冊目の本を上梓されていますが、夢二の研究を進める上でご苦労などありませんでしたか。安達 ここ「御花」で、夢二の版画展を開催したのがきっかけです。大正ロマンを感じる「御花」の西洋館と夢二の版画がマッチして、相乗効果をもたらすだろうと思い版画展を企画したのですが、そこを訪れたお客様から、「大牟田出身の福井健夫という人が夢二と懇意であったらしい」ということを教えてもらったのです。それまで、私にとって夢二は、はるか高みにいる芸術家という感じだったのですが、私と同郷の人と接点があることを知って、一気に距離が縮まったように感じました。その後、夢二の日記や当時の新聞・雑誌などを探して調査を始めました。調べていくうちに、福井氏が同志社大生時代に、京都に滞在していた夢二と交流いるなと思っていました。美術館に行けば本物を観ることができるのに、複製画を額にいれたり、新聞の切り抜きをアレンジしたりして家の中に飾って楽しんでいたのです。日本の場合、複製画は評価されません。ドイツと日本では美術の楽しみ方が違うんですね。私は日本でも、もっと複製画を楽しんでもらいたいと思うようになりました。会社を退職後、3〜4ヶ月ほど、ヨーロッパの見本市を見学してまわったのですが、そこで偶然、複製画を仕入れるルートを見つけることができ、帰国後は地元・大牟田に「ギャラリーADアート」を開いて複製画の販売を始めました。ギャラリーを開くにあたってはわからないことばかりでしたが、逆に何もわからないから怖いものもなかったですね。自分がやりたいことをやっていたので、楽しかったし充実していました。ー竹久夢二の研究を始められたのは、何かきっかけがあったのですか。柳川で開催した夢二の版画展をきっかけに竹久夢二の研究を始める。著書では夢二の交遊関係や作風への影響を独自の視点で紹介されている。

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