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ります。原稿を入力させてもらうなど、先生の研究を身近で拝見できたのは、とても貴重な経験だったと思います。ーどんなサークル活動をされていたのですか。渡辺 物理研究部に所属し、アマチュア無線とパソコンを使った活動をしていました。アマチュア無線は、ある期間内にどれだけの局の電波をとれるか競う大会があり、島に行って電波を拾ったりしていました。パソコンは、プログラムに長けた人がいて、福岡の某企業の下請けのようなことまでやっていましたね。ー 就職先に、日本アイ・ビー・エムを選ばれた理由をお聞かせいただけますか。渡辺 27年前、コンピュータ産業は花形産業で、みんなが憧れる業界だったんです。私は常に、最先端の場所で勉強も遊びも謳歌した大学時代。ー本学の理学部数学科に進まれた理由をお聞かせいただけますか。渡辺 1か0かクリアな答えが出るものが好きだったんです。文系は曖昧なこともありますが、数学は答えがはっきりしています。得意科目でもあったので数学科を選びました。ー大学時代はどのように過ごされていましたか。渡辺 数学科は、他の理系の学科に比べると時間があったんです。ですから、勉強以外にも、サークル活動やアルバイトなど、いろんなことを楽しんでいました。当時、有川総長が、最先端の人工知能をテーマにしたゼミを持たれていました。とても人気で競争率も高かったのですが、私はなんとか有川ゼミに入ることができ、そこで「1階述語論理学」について研究しました。John Lloyd著の「Foundations of Logic Programming」の解答集を博士課程の学生の指導の下、ゼミの学生みんなで作成しました。夏休みに有川先生著「述語論理と論理プログラム」の出版のお手伝いをさせていただいたこともあ仕事をしたいという思いがありました。また、世界を舞台にグローバルな仕事をしたいとも思っていたので、日本アイ・ビー・エムに就職しました。ーアイ・ビー・エムでは「ThinkPad」の開発に携われていたそうですが、ご苦労などありましたか。渡辺 私が関わったのは、初代「ThinkPad」の開発です。それまでは世の中にデスクトップ型のパソコンしかなかったのですが、各社こぞってノート型のパソコンを開発することになった時代です。これまでにない小さな空間にコンポーネントを詰め込まなければならないので、テクノロジーとの戦いの日々が続きました。でも、これまでの延長線上の開発ではなく、新しい技術にチャレンジできておもしろかったです。それに、ノート型のパソコンが出てきたら世の中は変わるとわかっていたので期待も大きく、疲れるどころか、むしろワクワクしていました。 ーエンジニアとして採用されたそうですが、途中で販売のセクションに移られたのは何か理由があったのですか。初代「ThinkPad」の開発に、エンジニアとして携わる聞き手尾藤 友里(びとう ゆり)九州大学大学院数理学府 修士1年4 Kyushu University Campus Magazine_2013.1学生時代(サークルの壱岐対馬キャンプ)エンジニア時代

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