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Kyushu University Campus Magazine_2013.1 5渡辺 そうですね。それぞれに文化がありますからね。一般的に、アメリカに本社があるグローバル企業は、アメリカの延長上でしか物事を見ることができないので、アメリカ流のビジネスを押しつけがちです。でも、それぞれの国の文化がありますし、事情も違うので、うまくいかないことも多い。それは日本人である私が身を持って感じていたことでした。ですから私は、まず、各国の事情を聞いて、理解し、その国に合った方法を部下と一緒に考えるようにしました。ー昨年、レノボ・ジャパンの代表取締役社長に就任されましたが、今の気持ちをお聞かせいただけますか。渡辺 レノボは、日本はもちろんワールドワイドに見ても、勢いのある会社です。日本では、日本電気と一緒に、ジョイントベンチャーをつくったことで注目も高まっています。他の企業より早いスピードで成長していますし、このような会社の社長に就任できたことは誇りに思っていますし、同時に、もっと業績を伸ばさなければという重責も感じています。資料をまとめたり、プレゼンしたり、何をするにしても大事です。主旨がまとまっていなければ、人を納得させることはできませんからね。ーエンジニア時代も、海外の方とお仕事されていたようですが、売る立場に変わって、その関わり方に変化がありましたか。渡辺 エンジニア時代は、海外の技術者もチームとしてやっているという意識が強かったのですが、販売部門に移ってからは、海外で接する人たちは皆、自分の部下でした。ですから、レビューするために、世界のいろんな国々に出張しました。それぞれの国の習慣に驚くことも多かったですね。例えば、エジプトの部下がいつも日曜日に出社して仕事するので、忙しいのかなと思っていたら、エジプトは金曜日が休日だったなんてこともありました(笑)。ーいろんな国に、仕事をレビューしてまわるのは、大変だったのではないですか。渡辺 物怖じせず、会社にいろんな提案をしていたら、開発部門のエグゼクティブの目に留まったらしく、自分の補佐になるように言われたのです。補佐役をやるようになってすぐに、そのエグゼクティブが販売部門に異動することになり、私も販売する側のセクションに移ることになりました。補佐役なのでボスが必要な資料などを作ったりしなければならなかったのですが、私は全くビジネスのことを知らなかったので、いろいろな人に聞きながら、少しずつ勉強していました。結果、「門前の小僧習わぬ経を読む」で、補佐役を卒業するときにはそのセクションの責任者になっていました。ー大学で学んだことが社会に出て役に立ったと感じられることはありますか。渡辺 大学時代に培った論理的思考力は、会社に入ってとても役に立ちました。物事を論理的に考える力は、世界中に部下を持ち、レビューしてまわった日々。成長する企業のトップとして誇りと重責を担う。ニューヨーク時代

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