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のです。当時教授は、京都大学に所属されていましたが、九州大学に移られましたので、私も九州大学で学ぶことになりました。エル-カディ 私は願書提出時に、2人の教授と知り合いになりました。1人は茂木透教授で、今は北海道大学にいらっしゃいます。茂木教授が本学の牛島惠輔教授に私を紹介してくださって、その縁で九州大学に来ることになりました。入学当時、私はとても運が良く、JICAのトレーニングコースに参加することができました。これはとても興味深い経験で、私の研究にも役立ちました。ー九州大学での学生生活はいかがでしたか。エル-シャルカウィ 私の指導教授はとても優しく、紳士的な方で、多くのことを彼から学びました。福岡は大変生活しやすく、人も温かで街もあまり混んでいません。だから、とても楽しい大学生活を送ることができました。でも、来日当初は大変でした。私は、10月8日に来日したのですが、留学生向けの博士課程の試験が1月だったのです。その試験には合格できませんでしたので、8月に実施される日本人向けの博士課程入試を受け楽しかった九州大学、そして福岡での生活。ー本日はお時間をいただき、ありがとうございます。今回お二人にインタビューできることをとても嬉しく思っています。まず始めに、自己紹介と、九州大学で学んだこと、そして当時の研究テーマについてお聞かせいただけますか。エル-シャルカウィ 私はコンピューターサイエンスを学びました。当時はコンピューターサイエンス、コミュニケーションエンジニアリングという呼び名でした。修士、博士課程でコンピューターサイエンスとデータベースシステムについて学びました。エル-カディ 私は九州大学に6年間在籍し、工学部で地球物理学を学びました。具体的には、考古学、地下水、地雷調査といった異なる用途に用いることのできる地球物理学のデータ解釈や、演算の知識を習得しました。ーなぜ九州大学で学ぼうと思われたのですか。エル-シャルカウィ この分野で著名だった上林弥彦教授のもとで勉強したいと思い、奨学生の応募に申請したることにしました。留学生向けの試験の受験科目は、語学の他に2科目だけだったのですが、日本人向けの試験は語学以外に6科目もありましたので、大変難しかったのです。それでも、どうにか合格することができ、博士号を取得することができました。本当に良かったです。楽しい日々でしたね。エル-カディ もちろん、福岡での生活も九州大学も楽しく過ごすことができました。友人もたくさんできました。エジプトやアラブの留学生たちと仲良くしていて、他学部の学生とも知り合うことができました。日本のエジプト学生協会の九州支部の会長も務め、多くの教育関連のイベントに参加し、エジプトとアラブの学生以外の新入生の歓迎もしていました。今でも、当時の友人たちとの思い出が甦ります。ホームステイプログラムで日本のお父さんお母さんができ、今も連絡を取り合っています。エジプトに聞き手緒方 一夫(おがた かずお)九州大学総長特別補佐(国際化拠点担当)熱帯農学研究センター 教授10 Kyushu University Campus Magazine_2013.3も来てもらいました。忘れられない思い出は、入学試験を松葉杖で受けたことです。試験は2月だったのですが、何週間かおきに友人たちとスキーに行っており、1月に広島へスキーに行ったときに転倒してしまい、靭帯を損傷したのです。九州大学病院に入院したのですが、プレゼンテーションの当日、「試験に行きなさい」と言われ、松葉杖をついてプレゼンテーションをしました。大変でしたが、今となっては良い思い出です。

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