http://www.kyushu-u.ac.jp-kyudaikoho_87
5/36

▶大学入学記念 後列右が田中社長▲大学4年3月(入社直前)田中 教養部の時は、実家の大川市から2時間程かけて通学し、箱崎キャンパスになって初めて下宿しました。家計に余裕がなかったので、奨学金をもらいながら、家庭教師のアルバイトをしていました。大学では、仲の良い友人が5人できて、昼夜問わず人文科学の世界を勉強しました。安保闘争前夜のような雰囲気があったので、自然に日本の政治について熱い議論を交わすことも多かったですね。今にして思えば青っぽい議論だったと思いますよ。5人の友人とは、今でも家族ぐるみの付き合いをしています。私にとって、今でも大きな支えであり誇りです。なぜ、大学時代から 40年以上も友情が続いているのかと考えてみたのですが、お互い利害関係のないフラットな間柄にあるからだと思います。社会に出ると、仕事のつながりなど、自分の意思に関係なくお付き合いしなければならないことも出てきます。しかし、学生時代は束縛されるものは何もないし、自分の価値観だけで付き合う相手を選べます。だから、こんなに長く付き合える真の友人を得られたのではないかと思うのです。学生時代は、一生の友人ができるチャンスです。皆さんにも生涯に亘って付き合うことができる友人に出会ってもらいたいですね。ー九州大学をご卒業後は、東洋高圧工業株式会社に入社されています。入社を決められた理由をお聞かせいただけますか。田中 最初は、当時全盛だった家電メーカーに入りたいと思っており、大手家電メーカーから内定も受けていました。しかし、家族から地元の福岡で勤務することを勧められていたこともあって、当時、福岡県大牟田市に大きな工場があり、有力企業として知られていた東洋高圧工業に入社することを決めました。しかし皮肉なことに、入社後は東京に配属になり、現在まで福岡勤務になったことはないんですよ(笑)。ー東洋高圧工業に入社後、2度の合併を経験されていますが、ご苦労も多かったのではないですか。田中 最初の合併は東洋高圧に入社してすぐのことで、事前にわかっていましたので組織を大きくするための合併だと良い方向に理解していました。しかし、実際に合併に直面すると戸惑うことが多かったですね。欧米では、社員の転職や会社の合併・統合は日常茶飯事ですが、日本はそれぞれの会社の文化を大事にしています。例えば、会社のガバナンス体制、職務権限制度、細かいことを言えば、書類一つ書くにしても形式が会社によって異なります。統一するにあたってどちらが正しいという判断ができないことも多いので、一般的に、内部統一するには時間がかかるのです。ですから、2回目の三井石油化学工業との合併の時は「合併効果の早期実現」を最重要課題に掲げ、社員全員で努力することになりました。結果として、日本の企業の合ー本学の経済学部のご卒業とのことですが、経済学部を選ばれた理由をお聞かせいただけますか。田中 大学は、法学部か経済学部に進もうと思っていましたが、性格的に法学部は向いていないと感じ、当時マルクス経済の流れを汲む経済学部の存在感が大きかったこともあって、経済学部へ進学することに決めました。ー九州大学では、どのような大学生活を過ごされましたか。生涯の友と出会い、青春を謳歌した大学時代二度の合併を経験。二回目の合併の際には、合併効果の早期実現に成功▶聞き手中園 晴貴なか ぞの はる き九州大学 大学院人間環境学府 修士2年4 Kyushu University Campus Magazine_2013.5

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です