http://www.kyushu-u.ac.jp-kyudaikoho_89
6/32

▲仲間と旅行に行ったりアルバイトをし たり、学生生活を謳歌していた学部時代Kyushu University Campus Magazine_2013.9  5─大学院に進まれ博士号も取得されていますが、大学院への進学はいつ頃決められたのですか。肥山 大学3年生の時に受けた上村正康先生の「原子核物理」の講義は、随所で世界最前線の研究の話を聞くことができて大変興味深いものでした。当時、最先端の研究だったのが、原子核物理のある重要な三体問題。ロシア(当時はソビエト)、アメリカ、日本の研究グループが7桁の数値の精度で解くべく競っていて、ある国際学会で3グループが全く同じ数値結果を出したそうです。しかし、その数値結果を出すための大型計算機の計算時間は、ロシアとアメリカが約10時間。それに対して日本の九州大学のグループは、たったの3分。この話を聞いて私は大変感動しました。また上村先生から、九州大学グループが開発した三体問題の計算法は使いやすく初心者でもすぐに使えるとお聞きしたので、「原子核で多体問題を研究しよう」と思い、大学院に進む決心をしました。─九州大学での上村先生との出会いが現在の研究のきっかけとなったのですね。肥山 そうですね。私は、自分の魂に触れるものがあったら悩まず突き進むタイプなので将来のことまで考えていませんでしたけどね。しかし、研究職として安定したポジションを獲得するのは簡単ではないとわかっていましたので、研究者の道へ進むことに不安はありました。自分が本当にやりたいことは何か自分に問い直してみて、最終的に自分に賭けてみようと思ったのです。ポスドクの最初の3年間で結果を出せなかったら他の道を考えようと、自分でリミットも決めていました。先生方には、研究者として才能がないと思われたら早めに引導を渡してくださいとお願いしていたんですよ。やり直すなら早い方がいいですからね(笑)。ですから、ポスドク時代は、なりふり構わず研究に没頭していました。その努力の甲斐があって、常勤研究職に就くことができました。─その後、アメリカへ留学されていますが、海外での研究はいかがでしたか。肥山 日本人は周囲の人に気を遣って発言することが多いですが、外国人はストレートに意見を言ってきます。それに戸惑う人もいるようですが、私には合っていた気がします。優秀な科学者と議論することは大事なことです。議論することで気付くこともたくさんありますし刺激になります。もちろん、こちらも議論に負けないだけのスキルを磨かないといけません。私のディスカッション能力は、この時に鍛えられたと思います。また、優秀な研究者とのネットワークも広がり、さまざまな分野の研究成果を知ることができました。─英語力はいつどのようにして培われたのですか。肥山 実は私、英語は必要ないと思って、あまり力を入れていませんでした。ですが、修士になってすぐに国際学会で発表しなければな世界の研究者との交流は、研究の大きな刺激に。「仁科加速器研究センター」のギャラリー1993年3月 九州大学理学部物理学科卒業 1998年4月 九州大学大学院理学研究科物理学専攻 博士課程修了、博士(理学)取得 1998年4月 理化学研究所ミュオン科学研究室 基礎科学特別研究員 2000年1月 高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 助手 2001年5~11月 米国ロスアラモス国立研究所の 訪問研究員を兼任 2004年4月 奈良女子大学 理学部物理科学科 准教授 2008年4月 理化学研究所仁科加速器研究センター 准主任研究員 現在に至る肥山 詠美子 プロフィール※2

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です