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4  Kyushu University Campus Magazine_2013.11深水 六本松キャンパスの周辺は、一人暮らしをしている友人たちがたくさん住んでいてとても賑やかでした。入学して間もない頃は、「青空お料理クラブ」というサークルに入っていました。能古島など、野外に出かけて行って、その場で料理を作って食べるというのが主な活動でしたが、人気のあるサークルで人数も多かったです。その後、2年生の終わりくらいから大学外のゴスペルサークルに入りました。楽しくて、夢中になって練習していましたね。この頃から、私の中で「音楽」の存在が大きくなっていったような気がします。─深水さんは教育学部のご出身でいらっしゃいますが、教育学部に進学された理由をお聞かせいただけますか。深水 臨床心理学の勉強をしたいと思って教育学部に進学しました。でもゼミを選択する頃、「大学内にもっと学生の居場所があってもいいんじゃないか」というコンセプトから『カルチャーカフェ』を立ち上げるなど、おもしろい研究をしている先輩がいらしたんです。その研究に興味を持ったので、ゼミは人間環境心理学を選びました。実は私、単位の取得ミスで留年しているんです。入学時に一緒だった友人たちは進級してしまい、一人取り残された気がしました。その頃から大学に居場所がないというか、身を持て余していたところがあったんです。だから、「大学にもっと学生の居場所を」という先輩の考えに共感できたのかもしれません。でも、留年して良かったこともあったんですよ。誰にも頼れない環境に置かれたので、何でも自分で調べて行動するようになりました。それは、現在のフリーランスの活動にとても役立っています。─音楽にはいつ頃から興味を持たれていたのですか。深水 お稽古ごとの一つとして、幼稚園から中学3年生まで音楽教室でピアノを習っていました。高校に入学して一時中断していたのですが、大学に入って、ドビュッシーの『アラベスク』を弾けるようになりたいと無性に思うようになり、またピアノを習い始めたんです。─創作活動は、いつ頃から始められたのですか。深水 卒業論文の追い込みの時期だったと思うのですが、ピアノを教えていただいていた先生が、レストランでバックミュージックを演奏する人を探されていて、誰か知らないかと尋ねられたんです。すぐに私がやりたいと立候補して演奏させてもらえることになりました。卒業は迫っていましたが、就職活動は全くしていませんでした。留年していたので一般企業への就職は考えていなかったんです。だから、リクルートスーツも─本日は、「九州大学ホームカミングデー&アラムナイフェス」で演奏いただきありがとうございました。アンコールでは、深水さんのオリジナル曲『六本松の唄』(The 6 pines)がリクエストされていましたが、六本松キャンパスのことなど、大学時代の思い出をお聞かせいただけますか。自分の居場所を探していた大学時代。ピアノ演奏のアルバイトが、創作活動のきっかけに。〈聞き手〉法学府修士1年 小山 友希こやま ゆうき▲ゴスペルを歌っていたとき[後列左から3番目]▲大学に入学したばかりの夏休みに 同じクラスの友達と旅行[左から2番目]

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