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できるだけ早く、自分の得意分野を見つけること。 ても、それを乗り越えて自分を進化させることができる力を養うこと。Kyushu University Campus Magazine_2014.1  5ていました。カルチャーショックでしたね。そのとき、ロサンゼルスのハリウッドなど、当時の最先端の場所を視察したのですが、ハリウッドで見たCGは座標を使って作った動きのないものだったのです。既に、プログラムでひとつの絵がどんどん変化していくCG「グロースモデル(Growth Model)」を考えていた私は、完成したら自分の方が面白いかもしれないと思いました。帰国後、学校がコンピュータを購入してくれたので、「グロースモデル」の制作に着手し、82年のSIGGRAPHの学会で発表。会場で大喝采を受けました。佐藤 信念を持って続けてきた研究が実を結んだわけですね。河口 さらに、処理の速い画像専用のコンピュータを使って、グロースモデルの本格的なアニメーションを作り、翌年のSIGGRAPHで発表しました。これも、その年一番の話題になりました。またこの時期は、CG界の転換期でもありました。3Dのグラフィックが入ってきたことでCGが全く異なるものになったのです。70年代と80年代では、CGを扱う人たちも人種が違う気がしました。変化に気付かず、時代に置いていかれた人も多かったようです。私はネアンデルタール人とクロマニョン人の間に橋を架けて乗り越えていった感じです(笑)。でも、専門学校の学長たちに誘われてSIGGRAPHの学会に参加していなかったら、私もあの時期に終わっていたかもしれません。佐藤 確かにあの時代に大きな世代のギャップがありますね。河口 一方で私は、10年、20年遅れた日本の環境のなかで、どうやったら最先端レベルに追いつけるのかと非常に焦ってもいました。佐藤 しかし、先生のテーマは学生時代から一貫されていますね。河口 時代の流れでテクノロジーは変わりましたが、やりたいことの流れは変わっていません。今も、宇宙や自然界の動植物の形の成長・進化をテーマにしています。佐藤 河口先生の作品はいずれも、極彩色を使われていますが、あの色はどこから来ているのでしょうか。河口 珊瑚礁や熱帯魚などを見て育ったのでそれが原点にあるのだと思います。東京で育っていたらこんな色は表現しなかったでしょう。佐藤 最近は立体の作品も作られているようですね。河口 2003年に『ファインディング・ニモ』でアカデミー長編アニメ賞を受賞したアメリカの映像会社ピクサー(Pixar)の社長、エドウィン・キャットムルは昔からの友人です。ピクサーには、千数百人のアニメーターとエンジニアがいて、世界のアニメを引っ張っています。そんな彼らと動画だけで勝負しても勝ち目はない。そう思って別のことをやろうと、もっと美術よりの立体映像系を制作するようになりました。テクノロジーが変わっても、やりたいことは変わらない。インタビュー/河口 洋一郎▲1970年代に使用していた 3次元グラフィックサブシステム海の生物など、自然界をテーマにした最近の立体造形作品。河口教授が手に持たれているオブジェは、日本の伝統工芸・薩摩切子の技術を取り入れたガラス作品

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