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鋳型自体に目を向け、鋳型を製作する際に残った加工痕の分析を行い、そこから生産体制の復元を試みました。陳 昨年、「九州考古学会賞」を受賞されていますが、その対象となった研究はどのようなものだったのでしょうか。田尻 福岡県春日市にある須玖遺跡群は青銅器の一大生産地だったと言われており、多くの鋳型が出土しています。しかし、それ以外のところからも鋳型は発見されており、地域ごとに丹念に見ていくと、表面の作り方は同じでも側面の作り方が微妙に違うことがわかってきました。生産の中心地では丁寧に造られていた鋳型が、周辺では側面の加工が手を抜かれて汚いのです。これまで青銅器の生産は一極集中で管理されていたと考えられてきましたが、周辺部の工人にもある程度の自立性があったと推測されます。このように鋳型を地域的・時間的に分析する手法でまとめた研究を研究書として2年前に発刊し、それが昨年11月に九州考古学会賞に選ばれました。陳 さらに昨年はアジア鋳造技術史学会からも研究奨励賞を受賞されていますが、どのような研究が評価されたと思われていますか。田尻 昨年の5月、九州大学に「アジア埋蔵文化財研究センター」が新設されました。そこには、岩石、鉱物、地層、化石などを専門に研究されている地球惑星科学の先生方も所属しており、共同研究を行っています。対象となった研究では、鋳型を作った石の原産地を調べています。石の鋳型は基本的にすべて同一の石でできていますが、その石がどこで採取したものなのかよくわかっていませんでした。八女市の矢部川の石ではないかと言われていましたが、誰も科学的な見地で研究をしていなかったのです。そこで、鋳型の一部を削った資料でサンプリングしてきた石材を科学的に解析し、完璧に一致するという結果を得ることができました。これまで考古学では、ほとんど肉眼観察に留まっていたのですが、科学的分析のもとにおもしろい事実が出てきています。そういった共同研究による分析も一つの成果となって評価を受け、さまざまな受賞につながっているのではないかと思っています。陳 弥生時代の青銅器を研究されているそうですが、どのような研究をされているのですか。田尻 弥生時代の代名詞・青銅器は、弥生人が初めて手にした金属器のひとつです。人類の進化とともに道具が石から金属へ変化し、それに応じて社会も変化していったと考えられます。そういった意味でも、青銅器がどのようにして作られたかを解明することは、社会がどのように変化していったかを解明することにつながるのではないかと考えています。また、私の研究の特徴は、青銅器ではなく、鋳型の生産技術に着目したところにあります。これまで鋳型の研究は、主にその表面にどのような製品が彫り込まれ、何が作られていたのかということを研究されてきましたが、私は鋳型に主眼を置いた研究が高い評価を受ける▲博士学位論文に加筆した研究書  『弥生時代の青銅器生産体制』 (九州大学出版会)▲「九州考古学会賞」の他に、平成25年度アジア鋳造技術史学会 「研究奨励賞」も受賞Front Runner :田尻 義了14  Kyushu University Campus Magazine_2014.3

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