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概要

九大広報Vol.96

医師を目指すきっかけは高校時代の大病。――この度は、総長就任おめでとうございます。九州大学病院長として女性医師キャリア支援を推進していただいた久保先生が総長になられたことを、大変うれしく思っています。早速ですが、久保総長の生い立ちからお聞かせください。久保:ありがとうございます。私は、鹿児島市内の生まれなのですが、川内川の上流にある北薩という、随分と田舎の町で育ちました。小学校の一学年で一クラスしかないような小さな町です。チャンバラごっこに興じる活発な子どもで、野山や川を駆け回っていました。―― 高校も鹿児島ですね。久保:はい、鹿児島市内の鹿児島玉龍高校で、有川節夫前総長と同じ高校です。実は高校時代に腎臓病を患いまして、その当時は人工透析に年間100万円もかかる時代でしたので、とにかく大変でした。鹿児島大学の病院の先生に随分とよくしていただき、「ほかに治療法はないから、ゆっくり休みなさい」と言われて、今では発売中止になっている強い薬をずっと服用していました。幸い大きな副作用はなかったのですが、その時には真剣に「死」というものを考えましたね。――そのようなご経験が医師を目指すきっかけになられたのですね。久保:そうですね。すでに兄も医師の道に進んでいましたが、私は腎臓病を治したい一心で医師の道を目指して、九州大学の医学部に進みました。――どのような大学生活でしたか。久保:母方の親戚の家から大学に通っていましたが、家で減塩食を作ってくれて毎日それを食べていました。一方、サークルは囲碁部に入っていました。身体をあまり動かせないこともありましたが、小さいころからメンコやビー玉などの勝負ごとは大好きでしたので、囲碁ならいいだろうと(笑)。――当時の九州大学というと、学生運動も盛んな時代でしたよね。久保:昭和41年の入学で、翌年から大学紛争が激しくなりました。昭和43年には、箱崎キャンパスで建設中の大型計算機センターに米軍の戦闘機が墜落する大事件もありましたね。クラス討論で「医師とはどうあるべきか」「医療とはどうあるべきか」を語り合っていた時代です。九州大学が世界の有力大学と伍する大学に各部局と常に対話をしながら信頼関係を築伊都キャンパス センター2号館 嚶鳴天空広場にて04 KYUSHU UNIVERSITY Campus Magazine 2014.11