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概要

九大広報 Vol.99++

「日本のために」と思ったら、とことんやる。―― 卒業後、三井物産に入社されたわけですが、商社を選んだ理由は何ですか。籾井:当時の日本はOECD(経済協力開発機構)にも加盟していなくて、日本という国が対外的に開放される寸前でした。国としてこれから外に向けて出て行くという時代でしたから、旅がとても好きでしたし、外国相手に仕事がしたいという気持ちがあって商社を選びました。三井物産に入社したのは、友人から「今日、三井物産が入社試験をやるらしいぞ」って話を聞いて「それじゃ受けに行くか」って感じで、受けたら合格しちゃいました(笑)。―― おおらかな時代というか、今の学生から見たらうらやましい限りですね。籾井:まじめな学生ではなかった割には、大学の成績は良かったんです。それでも九州大学での4年間を振り返ると、もっと勉強すべきだったと思っています。―― 三井物産に入社されてからは、どのような社会人生活でしたか。籾井:自分の出世のためという意識はまったくなく、ただ一生懸命に働きました。―― 籾井さんはさらりとおっしゃいますが、三井物産ではアメリカの現地法人社長や本社の副社長にまでなられました。籾井:いやいや、副社長は副社長であって、社長になる人材ではなかったということですよ(笑)。―― でも、その後、日本ユニシスで社長をお務めになり、NHK会長にもなられました。籾井:九州大学の同窓生でも、私が副社長とか社長とか、ましてやNHKの会長になるなんて思った人は誰もいないでしょう(笑)。なろうと思ってなったわけではなくて、成り行きにまかせていたらこうなったという感じです。―― 「何のために」がんばってきた、と思っていらっしゃいますか?籾井:それは・・・「自分のため」以外です。私心を捨てて働くということでしょうね。―― なるほど。私心を捨てるという姿勢が結果として信頼につながったのですね。籾井:その姿勢だけは今も変わっていないつもりです。―― 日本がどんどん海外へと出て行く、まさに日本経済のグローバル化を支えて来られたわけですから、本当に大変だったのではないですか。籾井:入社1年目は何もできませんでしたよ。机に向かって仕事をしていても「これでいいのか」という焦りがありました。そこで、自分から八幡支店に転勤させてもらって鉄の勉強をしました。それから、独身男性が受験できる海外修業生というのがあって、これに向けて一生懸命勉強しましたね。合格してオーストラリアに行き、そこで先輩方からいろいろなことを教えていただきました。―― 海外勤務のご経験は、やはり大きかったのですね。籾井:九州大学に4年いて、東京本社で1年、その後八幡で1年。まったくの世間知らずですよ。初めて海外で働いてみると、そこには豊富な人材がいて本当にたくさんのことを学びました。もちろん、叱られることも含めてね。―― 先輩方にも恵まれていらっしゃったのですね。籾井:はい。すごく恵まれていたと思います。ただ、時にはもちろんそりが合わない上司がいることもあるわけですよ。それで当時の九州大学六本松キャンパスにて(左)。三井物産時代、サハリンのプロジェクトに参加したときに(中央)。KYUSHU UNIVERSITY Campus Magazine 2015.07 09