アフガン復興は平和な農村生活を取り戻すことが第一。 それぞれの社会に即した国家再建が必要です。 パキスタンやアフガニスタンでの医療活動や、干ばつ対策のための水源確保など幅広い活動を行なうペシャワール会。その代表である中村 哲さんは九州大学医学部の出身です。2003年、アジアのノーベル賞と言われるラモン・マグサイサイ賞の平和・国際理解部門を受賞した中 村さんに、活動の展望と九州大学に寄せる想いをうかがいました。
吾郷:この度はマグサイサイ賞の受賞おめでとうございます。 まず、ペシャワール会の代表として、活動を始められたきっかけを教えていただけますでしょうか。 中村:私は山が好きで、一九七八年に福岡からのカシミール遠征隊に医者として 同行しました。行ってみると非常に親しみやすい場所でした。そのうちに日本キ リスト教海外医療協力会(JOCS)がペシャワールで働く医者を探していると いうので、このまま日本で病院勤めをして終わるのは耐えられないという気持ち もあり、現地へ赴きました。 吾郷:活動には紆余曲折があったと思いますが、実際にどのような問題点があり ましたか。 中村:問題は今も続いていますが、どうやって現地のニーズに応えるか、外国人 としてどう役に立てるか、ということです。私は内科医ですが、現地には職を探 している内科医や外科医がいっぱいいます。また、お金さえ出せば最高水準でな くともそこそこの診療は受けられるんです。それなら現地の人ではできないこと をやろうと、ハンセン病の医療活動を始めました。皆がやることは誰でもできま す。それより本当にニーズがありながら、誰もやらない仕事をすることを活動の基 本にしています。現在はハンセン病の医療活動に加え、無医地区の診療、清潔な 飲料水や灌漑用水の確保など水の問題にも取り組んでいます。 吾郷:本来、無医地区、灌漑用水の確保などは国家レベルの問題。個人レベルで 取り組むことではないとも思います。それがアフガニスタンでは、イラクでの新 たな戦争が起こってから国際的にも関心が移ってしまったように思えますね。 中村:それは大事なポイントです。国際援助は脚光を浴びると「我も我も」とや ってきますが、別の出来事が起こるとすぐに去ってしまいます。ですからアフガ ン人の国際社会への不信感は根強いですね。また国家再建が外国人主導で行われ ているのも問題だと思います。明日の食料をどうするか悩んでいる国に、鉛筆を 配っても意味がありません。文化をどうこう言う前に、まずちゃんと食べられる ようにするべきです。 吾郷:身につまされる話です。私は九州大学の前にILO(国際労働機関)にい たのですが、どうしても供給側の企画になってしまうんですね。本当に現場を見 てやっているのか大きな疑問がありました。 中村:アフガニスタンでは経済観そのものがちがいます。近代的な経済や産業を 受け入れるようにできていません。もともと農業国であり、農業復興が国家再建 の要なのです。まず平和な農村生活を取り戻すこと。国民が安心してご飯が食べ られる、家族が安心して一緒にいられる社会をつくるべきです。 吾郷:WFP(国際連合世界食糧計画)ではアフガニスタンに食料援助を行なっ ていますが、どう思われますか? 中村:これも両刃の剣です。ほとんどの村は自給自足社会で、極端に言えば隣の 村が滅亡しても自分の村は生き延びることができます。ところが食料の配給を続 けていると、自給自足の原則が崩れ、食料価格の下落を起こしたりします。私た ちは食料の配給は緊急援助に限ると考えています。 吾郷:WFPには食料供給の代わりに井戸の掘削作業などの仕事をする「フー ド・フォー・ワーク」というプロジェクトがありますが。 中村:それは失業対策事業としてもいい方法ですね。ただし末端の現場まで目を 光らせていないと、必要のない場所に井戸を掘るなど、本当に役立つことをして いるか分からないことがあります。重要なことは「現地のニーズ」、現地の立場 に立って考えるということだと思います。
吾郷:社会の役に立とうというお考えは九州大学にいた当時からあったのです か? 中村:考え方そのものはあまり変わっていませんね。大学時代から、せっかく医 学部を出たなら役に立つ仕事をしたいと思っていました。私は昆虫少年で、本当 は農学部の昆虫学科に入りたかったんです。けれども大学に行ける人はそう多く ない時代ですし、父が厳しかったのでそれでは許しが出ないだろうと医学部を志 しました。当時は北杜夫、なだいなだなど、精神科医で作家という人が多かった ですし、できれば楽をしたいと思ったものですから精神科を選びました。ところ が自分の方が精神的につらくなって、もう少し機械的な医学、今でいう神経医学 に移りました。 吾郷:私も著作を読ませていただきましたが、中村さんは文筆家としても一流だ と思います。最後に九州大学や後輩たちに何かメッセージをいただけますか。 中村:私たちの持っていた価値観が大きく変わろうとしています。本来デモクラ シーは人を大切にするために生まれたはずなのに、今はそれが戦争につながって いる。そうした危機的状況の中で、人としてどう生きるかが問われている時代で す。そのような時代だからこそ、将来をしっかり見据えて、純粋な学問を追究し ていくことが非常に大切だと思います。本当の学問を極めていくことができる大 学はそうありませんが、九州大学ならできます。社会的責任を考えながら、九州 大学と学生の方々には頑張ってほしいと思います。 吾郷:人間の本来的な目的をふまえて勉学に励むということですね。私ども努力 したいと思います。本日はどうもありがとうございました。
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![]() 中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された会。 中村氏はパキスタン・ペシャワールへ1984年に赴任し、現地で診療活動を 開始。ペシャワールは、アフガニスタンと国境を接するパキスタン北西辺 境州の州都。1986年からはアフガン難民のためのプロジェクトを立ち上げ、 現在アフガニスタンの無医地区山岳部に3つの診療所を設立。1998年には基 地病院PMSをペシャワールに建設、パキスタン山岳部に1つの診療所も併 せ持つ。2000年からは中央アジアを襲った大干ばつ対策のため、特に被害 の大きかったアフガニスタン国内で井戸掘り・カレーズの復旧など水源確 保のための事業を実践。「人間が住むことができる環境を回復すること」を 目標に、2001年の「アフガンいのちの基金」をもとに医療事業、水源確保 事業に農業計画を加えた「緑の大地計画」を継続し、長期的な灌漑計画を 進行中。現在、ペシャワール会ではパキスタン北西辺境州・アフガニスタ ンで年間約16万人の診療を行なっている。現地ワーカー約820名、日本人ワ ーカー約20名(2002年)。また日本には約12000人の会員がおり、ペシャワ ール会の現地活動を支援している。 |