さまざまな文化が交差するインターフェイスの領域は、
法律においても今後ますます重要性が増すでしょう。

2003年10月の第32回ユネスコ総会において採択された「無形文化遺産保護条約」。
おなじみの世界遺産の無形版と言えるこの条約に最初期から関わってこられた河野俊行教授。
私たち日本人には当たり前とも思える無形文化遺産ですが、
条約採択までには並々ならぬ苦労があったようです。
今回は世界各国の文化事情が見え隠れする興味深いお話です。

紛糾した無形遺産条約

いつ頃からユネスコの無形遺産条約に関わられたのですか。

最初は二〇〇二年の冬、無形遺産条約のたたき台をつくる専門家会議に出席す るよう指名を受けました。無形遺産についての専門的知識はなかったのですが、 知的好奇心を刺激する仕事でもあり、お引き受けしました。以前、ユネスコの文 化財違法取引に関する条約に携わったことが指名の理由かもしれません。専門家 会議は世界各国の十名程度で構成され、アジアからは私とタイからの二名でした。 この条約はすでにある世界遺産条約の無形版をつくることが目的だったので、二 回の専門家会議で作業はスムーズに進行しました。

そして二〇〇三年秋の条約採択へと順調に進んだわけですね。

いえいえ、ここから先が大変だったのです。そのたたき台を持ってユネスコの 全加盟国が参加する〇二年九月の政府間会合に日本政府代表として臨んだのです が、この会議は崩壊寸前まで紛糾しました。予想もしなかった反対派が大勢いた のです。その急先鋒であるイギリスなどは、とにかく反対意見を述べて条約自体 の議論に入らせない。この時は何も決めることができず、条約も一からやり直し です。何とか態勢を立て直して臨んだ〇三年二月の会議でも、四十以上ある条文 のうち三つしかできませんでした。やっとこれでいけると思ったのは〇三年六月 の最後の政府間会合の最終日。それまでは、いつ話がつぶれてもおかしくない状 況でした。

なぜそんなに反対意見が多かったのですか。

日本人には無形遺産という考え方はよく理解できますが、世界的にはあまり知 られていないのです。日本では昭和二十五年に制定された文化財保護法の中に無 形文化財の保護が入っていますが、これは世界で初めての考え方です。この影響 を受けた国が韓国をはじめ数カ国ありますが、世界では少数派です。なので「無 形遺産」という概念自体がヨーロッパでは理解できない。条約というのは義務を 伴いますから、条約を作ってまで何か分からないものを守るのは嫌なわけです。 また、ヨーロッパの発想だと無形遺産は少数民族のもの。自分たちの国には無形 遺産などないと言う国や、こんな条約で先住民族を刺激しては困るという国も多 くありました。

そんな状況の中では日本が果たす役割は大きかったのでは?

日本はまさしく孤軍奮闘でした。アフリカは賛成でしたが、反対意見を論理的 に論破できない。アジアもほとんど何も言いません。ですから日本だけが、あり とあらゆる反対意見をたたいて前へ進まなきゃいけない。たくさんの国が参加し ていますから、五十カ国ぐらいの反対意見が続いた後、やっと日本が発言できる んです。その数少ない発言機会で、ひとつひとつ反対意見をつぶしていく。この 条約ができたのは日本が本当に粘り強くやったからだと思います。

それは大変な経験でしたね。

はい、こんなに大変な思いをしたのは生まれて初めてです。〇二年九月から〇 三年六月までの十カ月間で、延べ四十日間はパリに行って朝から晩まで働きまし たね。

2002年ソウルで行われた略奪文化財返還に関する
ユネスコワークショップの参加者たちとソウルの民俗村にて
各国で違う文化思想

その経験から得られたものも大きいのでは?

文化遺産という概念が、国によって大きく違うという点が面白かったですね。 例えば今回の無形遺産条約も、滅びいくものを保護しようというのが基本的なス タンスなんです。でも五十年の歴史がある日本の文化財保護では、特にその点は 考えられていない。だから興行的に成功している歌舞伎なども対象になるわけで す。口承や無形遺産を対象としたユネスコの世界傑作宣言というのが一九九八年 に始まりましたが、日本からは能楽と文楽が選ばれています。ヨーロッパで言え ばオペラやクラシックバレエが選ばれるようなものですが、他国から挙がってき ているものにそうしたものは選ばれていません。日本以外はほとんどが滅びいく 伝統芸能や工芸です。この世界傑作宣言事業は条約ができれば終了し、すでに採 択されたものは自動的に無形遺産条約に編入されることになっていますが、これ も大激論の末に決着しました。

文化の考え方が国によって違うのですね。

ですから世界的なコンセンサスをつくるのが非常に難しいわけです。ユネスコ が目的としているのは、世界の文化多様性を確保するということです。グローバ ル化が進行して、その負の側面として少数言語や土着の伝統芸能などが消えて行 きつつあり、多様性が失われるかもしれないという危惧があります。けれどもさ まざまな問題があって、では多様性確保のために本当に条約が必要かという根本 的問題もあるし、滅びいくものはそのままでいいじゃないかという考え方もある。

世界共通の認識を持つのはやはり難しいのでしょうか。

文化というのは思想の違いだと思います。ですからコンセンサスを持ってしま うと失われる可能性もあります。私はコンセンサスを持つことではなく、共存さ せることが重要だと考えています。それぞれの文化を破綻させずに、どうやって 調和させるか。多様なものを多様なものとして生かしながら、どうまとめていく かが求められている時代です。無形遺産条約採択後、あたらしいプロジェクトと して文化多様性条約の作業が〇三年十二月から始まりました。その専門家会議に も指名を受けましたので、しばらくユネスコ通いが続くと思いますが、重責に身 の引き締まる思いです。

ドイツの恩師ミュンヘン大学前総長
アンドレアス・ヘルドリッヒ教授と湯布院で
知的好奇心を満たす仕事

先生は以前から文化財保護法に興味を持っておられたのですか。

もともとは弁護士になりたくて、司法試験にも受かったのですが、実務が面白 く感じられなくて大学に残ったのです。その時に取った国際私法の授業が大変面 白くて、専門分野として研究するようになりました。国際私法は国際取引や国際 結婚など、日本国内でいう民事法の国際版です。文化財保護は二足めのワラジで、 後から研究するようになりました。最初は文化財の違法取引、つまり絵画など動 産についての研究でした。さらに九七年からはイコモスという世界遺産の実質的 審査を行う国際NGOのメンバーになり、歴史的建造物を中心とする不動産の文化 財保護に関わるようになりました。そして今回の無形遺産と、思いもよらず広が ってきた感じです。

さまざまな分野に積極的にチャレンジしてらおられるのですね。

できるだけ自分で枠をつくらないようにしています。自分の持つ知識や興味に 偏らず、知的好奇心をくすぐるもの、面白そうだと感じるものは引き受けるよう にしています。実際、さまざまな領域が重なるインターフェイスの部分が一番面 白いのです。例えば民法は国によってまったく異なります。最近、日本でも話題 になっている代理母の問題は、カリフォルニアではお金を取ることも認めていま すが、ヨーロッパなどでは厳しく規制しています。各国の倫理観が色濃く反映さ れているのです。では日本ではどうするのか。グローバル化で今後ますますこう した問題は増えるでしょう。インターフェイスを扱う私の仕事も重要性を増すと 思います。

設立にかかわった外国人短期留学コース(JTW)の第1期生たちと、
久住でのオリエンテーションで。
中央は言語文化研究院の高橋勤助教授。
日本人のアイデンティティ

海外への興味は以前からあったのですか。

異文化への興味は昔からあって、外国にはよく行ってましたね。初めて行った 場所はアテネですが、今でもよく覚えています。パルテノンなど有名な場所だけ でなく、空港がボロかったとか。とにかく新鮮でした。

国際的な仕事をこなしていく上で基本にしていることは何でしょうか?

外国へ出れば出るほど、自分が日本人であることを感じます。むしろ国際的な 仕事をする時ほど、日本人としてのアイデンティティがないとできないと思いま す。日本から世界に出て、世界標準になったものってあるでしょう。現代では車 などですが、それ以前にも室内空間とか意匠工芸とか、世界に強い影響を与えた ものがあります。そうした世界標準を生み出した自分たちの文化に対する誇りは 常に持っていたいですね。

そうした観点から見ると、九州という土地はどう映るのでしょうか。

すばらしく住みよい土地ですが、九州の人は自分たちの文化の良さに気づいて いないようにも感じます。例えば白砂青松は自然景観であると同時に文化景観で もありますが、私が九州大学に着任してからもずいぶん失われたし、また長崎は 素晴らしい文化景観を持つ街でしたが、それが都市開発でどんどん失われていっ たのは残念ですね。他方、杵築のように町並み保存の頼もしい動きも注目してい ます。

そして学生たちへ

高校生への活動も積極的に行っているとか。

二〇〇〇年に世界八カ国の主要大学学長が集まる学長会議を九州大学で行った のですが、この時、高校生との対話集会を企画しました。せっかくこれだけの学 長が集まるのだから、何か学生に還元したいと思ったのです。高校生百人ほどが 集まりましたが、結果は大好評でした。高校生たちをリラックスさせるため、学 長の方々には「私服で」とお願いしたのですが、見事に裏切られて私だけがジー ンズ姿でした。それも好評だったようですが。福岡市内の高校でも講演したこと があります。高校生でも大学生でも、一生懸命聞いてくれる人に話をするのは非 常に楽しいです。

最後に九州大学の学生、また大学を目指す高校生たちにメッセージをお願いします。

まず好奇心旺盛であること。あきらめないこと。さらに外国語で喧嘩ができる ようになること。今回のユネスコの会議で痛感しましたが、外国語の議論につい ていくだけでは不十分です。反対意見に対して喧嘩ができ、さらに代替案まで出 せるようにならないと議論はリードできません。ネイティブでない人間には非常 に不利ですが、実際ネイティブでなくてもそれができる人間はたくさんいます。 私も語学は実践で身につけてきましたし、今も最高の学びのチャンスだと思って仕 事に臨んでいます。皆さんにもぜひ、実践的な語学力を身につけてほしいと思い ます。そして最後に、世界は面白い!


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