北九州市からスタートし、今や世界的なメーカーとなった東陶機器株式会社(TOTO)。同社の会長として九州の財界で活躍する重渕雅敏氏は九州大学工学部の卒業です。「ごく普通の大学生だった」という重渕氏が仕事をする上で心がけてきたことは何だったのか、大学での経験がいかに役立ったかなどについてお聞きしました。また、重渕氏は九州大学経営協議会委員であり、九月には、(財)九州大学後援会会長にも就任されました。その抱負もあわせて伺いました。


化学の研究も、経営の現場も、問題解決の基本的な手法はまったく同じ。

―九州大学工学部のご出身ですが、どのような理由から九州大学への進学を決められたのでしょうか。

重渕 私は福岡県添田町の生まれですが、高校時代は絵を描いたり、化学部に所属して化学実験などをしていました。進学にあたっては好きな絵の道に進むか、化学の道にするか迷いましたが、最終的にメーカーの技術者をめざそうと思い、それなら九州大学の工学部だろうと考えたわけです。

―九州大学在学中はどんな学生生活だったのでしょう。

重渕 当時は「もはや戦後ではない」と言われた時代で、神武景気があり、所得倍増計画が策定される直前で、社会全体が上向きになりかけていました。いよいよ日本が経済大国に変わっていく分岐点だったと思います。政治的にはビキニ環礁での水爆実験で原水爆禁止運動が起きたり、岸内閣の安保改正について反対運動が起きたりと、きな臭いこともありました。けれども私はノンポリ学生だったので、ごく普通の学生生活を送っていました。楽しかったですね。絵が好きで美術サークルに入っていましたし、当時は歌声運動というのがあって仲間五、六人と一緒に歌声サークルをつくってハモッていました。マージャンも大学で覚えたし、家庭教師のアルバイトもしました。アルバイトの報酬が入ると箱崎にあったトリスバーで皆でワッと騒いだりして、今の学生さんたちとほとんど変わらない学生時代だったと思います。ただし入学当時はまだ食料難だったので、米は配給制だったことを覚えています。

応用化学教室本館屋上にて 学生時代の下宿にて
左端が重渕氏、右端は江本寛治JFEホールディングス椛樺k役


―ごく普通の学生だったということですが、TOTOに入社されたきっかけは?

重渕 就職の頃は景気もよくなりかけていましたし、企業からの募集もたくさんありました。いくつか工場見学をしたのですが、TOTOの工場を見学した時にあちこちに絵がかかっていたのが印象的だったんです。当時のTOTOは食器も生産しており絵柄のデザイナーもかかえ、アートのある会社だなと感じました。私は野心のあるギラギラした学生ではなかったので、企業の大きさも自分の身の丈に合っていると思い入社を決めました。今でこそ資本金三七〇億円ですが、当時の資本金は一億円に満たなかったですから。

1935年生まれ。福岡県出身。58年、九州大学工学部卒業。 同年、東洋陶器株式会社(現:東陶機器株式会社)入社。98年に同社代表取締役社長に就任。2003年 6月から代表取締役会長。北九州商工会議所会頭をはじめ、九州・山口地区の経済界の要職を数多く 務める。九州大学経営協議会委員、九州大学後援会会長。


―入社時に決めた心構えや信条はありましたか?

重渕 これから一生世話になるのだから、会社に入った以上は思い切りやろう、自分なり に納得のいく人生をここで送ろうと心に決めました。私は研究者として入社しましたが、そうした心 がけでさまざまな仕事をやりましたよ。研究職の後は組合運動に携わり、国内外に工場を建設する仕 事もしました。ちょうど会社が伸びていく時期だったので三年にひとつの割合で工場を造っており、 インドネシアにも工場を建てて合弁会社を設立しました。大学では研究者になるつもりで応用化学を 勉強しましたが、結局その知識はあまり日の目を見ませんでしたね。

―研究者として入社しながら社長、そして会長となり、現在も経営の最前線におられるわけです が、ご苦労されたのではありませんか。

重渕 研究者も経営者も、基本的な仕事の問題解決手法は同じだと思っています。それは 現場・現実・現物を大切にすることです。問題解決の第一歩は、モノの実態を現場で現物を前にして 検証し、きちんと把握することなのです。化学実験に「仮説検証」という手法があります。何か分か らない未知の物質を判定するときに使われる手法で、この仮説が正しいならこういう現象が生ずるは ずという考え方に基づいて検証し、大きな枠組みから順次グループ分けして物質をつきとめます。こ れは経営現場の問題解決手法とまったく同じやり方です。

―大学での勉強が思わぬところで役立ったわけですね。

重渕 普通の学生として大学四年間を何となく過ごしたようですが、今の私の基本的な部 分は大学で形作られたと思っています。大学での勉強が社会に出て一〇〇%役立つことはまずないで しょう。それより、どこまでそれを応用できるかが大切で、アプローチの仕方を幅広く持っている人 ほど問題解決能力が高いと思います。

 経営者とはいかに問題解決能力があるかが問われる仕事で、自分なりの問題解決のやり方を見 つけることが求められます。業種によって、普通のことをしていてもそれなりに成長できる時代もあ りますし、何もしなければ先細りするばかりの低成長時代もある。そういう状況をピンチと感じるか 、チャンスと読むか。悪い状況でもチャンスと読んで、これが駄目ならこの手があると、いろいろな 戦略を生む幅を持っている人が問題解決能力に富む経営者だと言えます。

―九州大学経営協議会の委員も務められていますが、経営者としての立場から現在の九州大学を どのように思われますか?

重渕 大学人も経済人も政治家も、今ほど大きな課題を背負っている時代はないと思いま す。地球全体から見ると、このままでは本当に地球破壊が起こるかもしれないというところまで来て いて、これをどう防ぐかという課題があります。また東西冷戦は終結しましたが、今は地球上のあら ゆるところで小さな対立が起こっています。領土、宗教、資源、南北問題など、対立の要素はいっぱ いあるのです。さらに日本では人口減少時代に入り、高齢化も進んでいます。それに社会のひずみと も言える教育問題が表面化し、少年や親がかかわる事件が増えています。まさに日本民族の危機的状 況と言えるでしょう。

 近年、企業の社会的責任が問われていますが、同様に大学の社会的責任が問われる時代になったのではないかと思います。大学には精神的問題を含めて国力を高める役割があり、社会の問題を解決する役割があります。大学が法人化され、この課題にどう取り組むかがますます重要になっています。大学の力を高めて良い学生・良い先生を集め、良い研究をしていく必要がある。そのためには企業と一緒になって問題を解決し、産学連携の取り組みをもっと進めていくべきでしょう。

 企業の社会的責任をCSR(Corporate Social Responsibility)と言いますが、これからは大学の社会的責任としてUSR(University SocialResponsibility)という考え方も必要ではないかと思います。いずれにしても、現代は「大学は何のためにあるのか」を再確認する時代だと思います。


九州大学は地の利を生かし、東アジアのセンター・オブ・エクセレンスに。

―今後の九州大学にはどのようなことを期待されますか。

重渕 九州大学は地理的に日本の中心から離れた地にあります。けれども、これから大きく伸びていくであろう東アジアに最も近い場所にある。軸足をどちらに置くか考えるべきだと思います。「センター・オブ・エクセレンス・イン・ジャパン」になるのか、「センター・オブ・エクセレンス・イン・イーストアジア」を目指すのか。九州大学では新エネルギーとして注目を集める水素エネルギーの研究など、日本で最も進歩的な研究開発が行われています。また九州大学ビジネススクールではMBA(経営修士)も取得できます。今、MBAの主流はアメリカやイギリスですが、必ずしも欧米のやり方が万能ではない。アジア流のMBAもあっていいでしょう。このように九州大学には可能性がいっぱいあるのです。加えて九州は従来のものづくりの伝統をベースに自動車や半導体といった新しい産業が集積し始めています。又、環境問題対策では世界に誇れる技術を持っている。これからの九州大学には海外との交流を広げて知名度を上げ、東アジア一円から学生たちが集まるような大学になってほしいですね。ぜひ東アジアのセンター・オブ・エクセレンスになってほしいと思います。

―今回、本学後援会の会長にも就任されましたが、抱負をお聞かせください。

重渕 実は、我が社も九州大学の学生を多く採用している企業です。優秀な人材の提供と いう恩恵を受けている企業の責任として、これからの若い人たちの研究活動や海外での活動などの手 助けをしたいと考え、私でよければとお引き受けしました。東アジアのセンター・オブ・エクセレン スを狙うなら助成事業は積極的に進めるべきだと思いますが、残念ながら後援会の基金は目減りして います。財政面にも企業人としての知恵を出して、微力ながら頑張っていきたいと思います。

―最後に九州大学の後輩たちにメッセージをお願いできますか。

重渕 よく言われることですが、九大生の強みはあまり世間ずれしていないことでしょう 。枠にとらわれず発想が自由なので、思い切ったことをやるし、意外性があります。これは多くの企 業でそう評価されています。反対に弱みはのんびりした環境なので、おとなしく人見知りする面があ ること。けれども弱みがすべて欠点とは限りません。外柔内剛ということもあります。私自身、大学 時代は目立たない学生で、まさか企業の社長や会長をやるとは思ってもいませんでした。しかし、や るなら自分で納得がいくまで徹底してやる。仕事を通じて自分自身の成長を図るようにすると、周囲 にも認めてもらえるようになりますし、自分の意見も通るようになります。一度の人生ですから自分 が満足できることをやる、自分のやることに禍根を残さない。そうした心がけが大切だと思います。


前のページ ページTOPへ 次のページ
インデックスへ