高 壮吉の肖像写真

高 壮 吉 鉱 物 標 本

大学院理学研究院地球惑星科学部門教授青木 義和
総合研究博物館助教授中牟田義博



 九州大学箱崎キャンパスの正門を入ると,左斜め前に灰色の旧法文学部のビルが建っている。この建物の1 階にある「九州大学自然科学資料室」には陳列戸棚が幾棹も設置され,大型の鉱物結晶標本が陳列してある。高壮吉鉱物標本である。部屋の一角には,縦86cm 横78cm の額縁に,口ひげをたくわえた高貴な紳士の肖像写真が収められている。この標本を蒐集した高壮吉の肖像写真である。
 明治45 年(1912 年)から昭和4 年(1929 年)まで工学部採鉱学教室の応用 地質学の教授であった高壮吉は,大分県の赤白珪石や軟珪石,島根県のクロム鉄 鉱,大分,熊本,朝鮮のドロマイトなどを発見し,当時の製鉄業の発展に大いに貢献 したが,鉱物学にも造詣が深かったようで名を“鑛齋”と号し,1890 年代から1930 年代にかけて数多くの鉱物結晶の標本を蒐集した。蒐集は世界各国に及ぶが, 特に日本に産した鉱物結晶の標本を主体としており,東大の若林標本,和田標本 とともに九大の“高標本”と呼ばれ,我が国において見事な結晶が最も多く産した 20 世紀初期の三大鉱物標本のひとつに挙げられている。昭和14 年本学に理学 部が開設された際,蒐集標本の中から学問的に貴重なものを選び,地質学教室(現 在の地球惑星科学教室)に寄贈された。その時の説明文が「本邦産鉱物 高鑛 齋標本」と題する一文として額縁に収められ,肖像写真の横に飾られている。
 さてその特徴であるが,標本の種類や個数においては他の著名な鉱物標本に 比べて決して多いとはいえないし,蒐集の仕方も偏りが著しく,また産地がわから なかったりはっきりしない標本が含まれているなど,決して理想的なコレクションとは いえない。寄贈された当時,標本の整理分類に当たった岡本要八郎のメモには,“惜 しいかな蒐めるに急に調べるに忙しく何等の記録を残されざること残念至極である” と記されている。しかし,結晶面のよく発達した大きくて美しい標本が多く,なかで も各種鉱山に産した結晶に見事なものが多いことを特徴としており,それらの鉱山 が閉山した今となっては蒐集することが不可能で,学問的に極めて貴重な標本と なっている。例えば左下の写真は,山梨県乙女鉱山の日本式双晶をなす水晶で あるが,幅12cm ほどあり,その大きさといい結晶としての質のよさといい世界第一級 の結晶標本のひとつである。
 これらの標本が高壮吉から理学部に寄贈された当初は箱崎キャンパス本部2 階の1 室に陳列されていた。しかしその後,昭和22 年に工学部本館エレベーター室 の上5 ,6 階,同40 年に理学部1 号館3 階,45 年に同4 階標本室へと移り,平成4 年に現在の資料室に移転した。この間教育研究に役立てられたのみならず,5 月の開学記念日,7 月の九大説明会,11 月の九大祭などの学内開放で高校生や一般市民 の参観に供したり,自然史関係の博物館や関連学会等に貸与し,それらの記念行 事で展示公開したりしているが,上記のように展示・収納スペースの関係上,今まで 数回の移転を余儀なくされている。世界的な鉱物結晶標本をこれ以上移転等で 損傷しないためにも,九大の元岡移転に際して,総合研究博物館の然るべき場に 落ち着くことが切に望まれる。
(あおき よしかず, なかむた よしひろ)

「本邦産鉱物 高鑛齋標本」についての説明文
日本式双晶をなす水晶(山梨県乙女鉱山産)ふたつの水晶が中央白濁部で接合した,いわば結晶のふたごで,日本で多産したことからこのような双晶を特に“日本式双晶”と呼んでいいる。

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