九大生は、骨太なイモ九でいい。
ただし本物の、
じっくり味わうことのできる
人間であってほしい。
植木 とみ子(うえき とみこ)
福岡市文化芸術振興財団 副理事長

 植木さんは、九州大学法学部と同法学研究科博士課程で学ばれた後、長崎大学助教授から福岡市女性部長へと転身を果たされ、今年の三月まで福岡市の市民局長、現在は市からの出向という形で福岡市文化芸術振興財団の副理事長を務めていらっしゃいます。九州大学の外部評価委員でもあります。その御経歴と肩書きに、どんな方だろうと緊張して博多リバレイン九階の財団オフィスにうかがいましたが、良い意味で予想がみごとに覆されたのは、このインタビューのとおりです。

Q…今日は貴重なお時間をありがとうございます。市民局長から福岡市文化芸術振興財団の副理事長に就任されたのがこの四月。三カ月経ったわけですが、財団ではどのようなお仕事をされているのでしょうか。

植木…二十世紀は物作りの時代でしたが、二十一世紀は精神の豊かさの時代です。財団は、いろいろな人にまず古今東西の文化を味わっていただきたい、体験していただきたい、そして自分で活動しようという方々の助成もしますというのが目的で、一九九九年三月に設立されました。市民芸術祭やいろいろな展示、講座や教室の開催などにかかわっていますが、今年は、これまで都心部で開催されることの多かった芸術文化活動に地域でも慣れ親しんでいただけるよう、「芸術交流宅配便事業」を始めます。野村万之丞さんなど有名な方々の芸術や講演に、小学校や区の市民センターなどで接することができるようになります。

博多リバレイン・リバーサイド9階の財団オフィスにある「文化情報・交流コーナー」。
誰でも自由に利用できる。

Q…市の福祉部長、教育委員会次長、市民局長などこれまでのお仕事とは、かなり色合いの違うものになりましょうか。

植木…それが、そうではないのです。大学院生や教官時代、私の専門は法社会学で、特に家族の中の紛争処理、なぜこの家族はこわれてしまったのかというような人間関係が研究テーマでした。そのとき、こういうことを考えました。日本には、ヒステリックで深みに欠けた、大人になり切れていない親が多いのではないか。教育は、人が育つのを待つ忍耐を要する仕事で、こどもではできない。こんな状況を改善するためには、大人が大人として成長できるような社会や文化が必要だ、と。もう二十年も前のことです。

 福岡は若者の街と言われます。こどもや若者が楽しむことのできる所がたくさんあります。でも、大人がじっくり楽しむことのできる場所はどうでしょうか。魅力ある大人が周りにいないと、こどもも大人になりたいとは思わないでしょう。女性部長時代は、自分で決定し行動し責任を持てる大人の女を育てようというのが一つのテーマでした。今の仕事は、その延長です。大人の本物の文化がもっと必要なのです。勉強するほど深く味わうことのできる本物の文化を、もっと皆さんに知ってほしい、もっと接してほしいと思っています。

 景気の芳しくない今、文化芸術でもあるまいとおっしゃる方もあります。しかし、文化活動は経済活動に反しない、むしろ経済活動に寄与するというのは、よかトピア(※1)で、私どもが企画したミズ・パビリオンに出資したデパートが非常なイメージアップを果たして、その路線で後の企画を成功させたことなどからも言えることです。財団も今サポーターを募っていますが、文化と経済はうまく共存することができるのです。

財団発行のパンフレット。
問合せ:092-263-6266

Q…もっと大人がじっくり楽しむことのできる文化を、というお考えに賛成です。外国のそういう面を見て、うらやましく思っていました。

植木…生き方を前提にした、生活に結びついた仕事をしたいのです。そのためにも、催しなどの情報を容易に入手していただけるよう、いろいろな形で情報発信に力を入れたいと思っています。ここの文化情報・交流コーナーは、このビルの一階に置きたいところです。また博多には、人形や帯もそうですが、本物がたくさんあります。それらは博多ブランドとして残さなければなりません。芸術家が育つ手助けもしたい。「アジアフォーカス 福岡映画祭」などは世界的に注目されています。博多は元々文化を醸成させる所でした。私たちは、福岡でアジアの文化を醸成発酵させて、アジアそして世界に発信したいと思っています。福岡を、文化と芸術の出会う街、東洋のパリにしたいと、アイデアを膨らませているところです。

Q…九大生時代のことをお聞かせいただけませんでしょうか。今に役立っているようなことがあれば、教えてください。

植木…私は貪欲でして、火事と喧嘩が大好きとでも言いますか(笑)、好奇心旺盛でいつも何でも一生懸命、楽しんでやってきました。一番の得意は人とのお付き合いで、友だちはたくさんいました。大学院生時代、各学部の院生や助手などを動員して、各学部学科の歴史や研究教育の特色、授業内容などを文章と写真で紹介した「九大のすべて」という本を作ったことがあります。これは「九大広報」のルーツではないでしょうか。その時の仲間が今は何人も教授になっていらっしゃいますよ。

大学院生時代の植木さんを中心に院生や助手が執筆して1980年に発行された「九大のすべて」。

 女性が社会で活躍するのがまだ難しい時で、つぶしが効くように、法学をベースに幅広く勉強しました。長崎大学の教育学部に就職した後も、県や市の仕事をしたり、女性が助け合うことのできるコミュニティを作ろうとしたり、いろいろな活動に携わっていました。そんなとき、福岡市から「女性部を作るから来ないか」と声をかけていただいたのです。「今の家庭や人間関係のあり方に関して政策提言するチャンスじゃないか」と、一晩考えてお受けすることに決めました。

 学生時代は全てが財産だと思います。人生には予定とは違ったことになることが多々あります。転んでもそれを肥やしにしていけばいいと思います。私の財産は、友人たちとそんな気力でしょうか。

Q…植木さんは、九州大学の外部評価委員でもいらっしゃいます。最後に、九大と九大生にメッセージをお願いします。

植木…九大は、先生方の一人一人はすばらしい教育や研究をしていらっしゃる。でも宣伝が下手だと思います。もっと広く多くの人に知ってもらえれば、あちこちで大きく膨らむのに、アピールが足りず損をしていると思います。多くの人とのつながりは、これから九州大学を助ける大きな力になると思います。

 今は、他と違う何かを持たなければいけない時代でしょう。だからと言って時流に流されることなく、じっくり考えて、九大の「本物」を光らせ、「本物」をアピールしていただきたい。学生もそうです。九大生は、骨太なイモ九(※2)でいい。ただし本物の、じっくり味わうことのできる人間であってほしい。でも一人よがりではダメです。周囲の状況にも柔軟性をもって対応できる、本物の大学であり学生であってほしいと思います。

九大の「本物」を光らせ、
「本物」をアピールしていただきたい。

 植木さんは、インタビューの間、何回もサッと立ち上がって資料を探したり、本を持ってきたりしてくださいました。いつも、このように迅速かつエネルギッシュにお仕事をこなしていらっしゃるのでしょう。また、かつてはこんな九大生でいらっしゃったのに違いありません。インタビュー後エレベーター前までお見送りいただき、恐縮しました。

※1
よかトピア:1989年3月17日から9月3日まで、福岡市制100周年を記念した「アジア太平洋博覧会’89」がシーサイドももちを会場に開かれた。この博覧会をきっかけとして、福岡市は「アジア太平洋子供会議」や「アジアマンス」などのアジア各国の紹介行事を行なっている。

※2
イモ九:身なり構わずあか抜けせず、ひたすら勉学や運動などに打ち込む「イモ」の「九大生」は、かつて「イモQ」と呼ばれた。九大OBの森恍次郎氏が社長を務める(株)如水庵は「九州大学応援菓いも九」を販売し、売り上げの一部を九大に寄附している。


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